最新ベトナム以前の記事一覧

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お久しぶりです!川村です。
実は昨年10月から今年2月まで日本に一時帰国中です。

2年半振りの日本での長期滞在&仕事。
自分が如何に日本流の仕事が出来ていなかったかを痛感中です。

とはいえ、こうして行ったり来たりしながら仕事させてもらえる機会
を頂いているので、地道にかつ着々と仕事をして参ります。

さて、折角の日本滞在なので、「日本にあるベトナムを見よう!」
ということで、週末はあちらこちらに行ってました。

Thuy&Hugo@茨城
(茨城キリスト教大学に留学中の生徒たちとの一枚。
真ん中のおデブさんは気にしないでください)

最初は茨城キリスト教大学へ。
フエではとても仲良くしてくれたThuyさんとHugoさんに会うべく、常磐線に乗ってトコトコ行って参りました。


正直、最初は「何かしてあげられることはないかな」という態度で彼女たちのところに行きました。
日本に来てまだ半年。何もかもが初めの土地での不安もあるんじゃないかと。
僕がフエに行った当初はとても不安だった。だけど、友達が出来て、色々と構ってくれることで
やがてその土地が好きになっていった。

自分がされて嬉しかったことを彼女たちにもしたい。いわば
「何か助けてあげよう!」という気持ちで向かいました。


Hugo.jpg
(茨城で開催された日本語スピーチコンテストの様子。なんと1位になったとのこと。)


電車に揺られること、約3時間。大甕(おおみか)駅に到着。
そこにでThuyさんが待っていてくれました。

28歳のおっさんが突然訪ねたにも関わらず、とても喜んでくれた。
何て優しい子なんやと自分も泣きそうになりました。

その後、彼女の学校に行ったり、ごはんを食べながら
良い意味で期待を大いに裏切ってくれました。

20121208_214302_convert_20130126161311 (2)
(ファミレスに行ったときの写真。色々奢らされました)


外国人として違う国に住むのは想像以上に大変なことです。
でも、彼女たちの場合は、心ある日本人と大学の皆さん、そして
同じ留学生の皆さんと協力し合いながら、とても逞しく生きていました。

日本語だってとてもうまくなっていた。
日本食だってとても美味しいものを作れるようになっていた。
友達も沢山出来ていた。

日本に来たばかりの頃は苦労したことはあっただろうし、
今でもあるのだと思います。

でも、それらを一つひとつ乗り越えて、逞しく学んでいる姿に
驚きました。

「川村さんは今、きちんと生きていますか?」

と彼女たちの背中から問われたように思います。

「何か助けになれることはあるかな」
と思い、訪ねたにも関わらず、逆にこちらが
「しっかりやれよ!」と叱咤激励を頂いてしまった。

はい、これからはもっと頑張りますよ!!!

ということで、初めてのベトナム人留学生訪問記となりましたが、
いかがでしたでしょうか。

彼女たちの逞しさ+彼女たちを支える日本人の方達の姿
を目の当たりにして、改めて「留学」は本人にとっても、周りにとっても
意義のある活動なんだと実感しました。


2011年度の調査によると、日本へ留学しているベトナム人の総数は
約4000人とのこと。しかも年々増えてきている。

「日本→ベトナム」という流れだけではなく、
「ベトナム→日本」という流れも加速していくに違いない。

その流れの中で、一日本人である自分は何が出来るのか。
また両国の関係、日本とASEAN諸国の関係、もっと視野を広げ
どんな社会にしていきたいのか。

こうしたことはベトナムにいくまで考えたこともなかったな。
改めてベトナム、ベトナム人の皆さまには感謝しています。

これからもどうかよろしく!

川村
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10月19日の話ですが、日経新聞1面の「シニアが拓く」という記事内に、
私たちの活動について掲載して頂きました。

2年近くベトナムで仕事をさせてもらっている元旭硝子工場長の松本さんと
不詳私の取り組みを紹介して頂きました。
自分たちの活動がこうして世に紹介して頂けるのは素直に嬉しいです。

でも、同時に、多くの方たちがベトナムで助けてくれた
(それこそ、その日食べていくためのご飯とか)からだなと感じます。

そもそも取材の依頼を頂いたのは、
ベトナムでお世話になっている猪谷さんが運営されている
「ベトニャットブログ(http://yattsu20.vietnhat.tv/e11956.html)」からでした。

そしてブログ記事を書くための原体験となったのは、松本さんを始め、
多くのシニアの方たちが交流してくださったからです。

日本にいた頃は60代の方たちがどんな思いで働いてきたのか、
今何を考えているのかについて考えたこともなかったし、関心もなかった。愚か者検定1級ですね。

ベトナムで働かせてもらってから2年半が経ちました。
人に誇れるスキルや経験は何か身に付いたかと言われると正直うんとは
言い切れないです。

ただ、世代も国境も超えて、沢山の方たちと知り合い、
語らうことが出来たことが出来たことは大きな財産だと心から感じています。

気がつけば28歳。もはや若造なんていってられない年齢。そして日本の友人周りは結婚ラッシュ。

様々な思い交錯しますが笑、
周りは恵まれすぎていることを改めて感じさせてもらいました。

これからもどうかよろしくお願い致します。

川村
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先週、「侍バックパッカープロジェクト」を絶賛実施中の太田英基さんがダナンにやって来てくれた。

彼との出会いは4年前の2008年の3月。

「学外活動に精を出しすぎて、大学に友達がいなかった人たちのための卒業旅行」
という謎の会で出会ったのが始まり。

お互い、というか参加者ほぼ全員が
「いやいや、俺友達いるし。たまたま人数合わせに誘われて来ただけだよ。」
的な態度を取っていたことがとても印象的だったことはよく覚えている。
あの頃は若かった(遠い目

とにかく、彼とはそれ以来のご縁。

僕がベトナムに来させてもらったのが2010年4月。
英基が旅立ったのが2010年5月。

なので、「数年以内にベトナムで会おう!」と約束だけはしていたのだけれど、
今回やっとこさ実現したのである。

■旅の軌跡
IMGP7695.jpg
*画像は太田氏とは全く関係がありません。


彼は既に50カ国近くを回り、残すは中国圏と韓国だけなのだそう。

ブラジルでの日系移民の方たちのお話。
世界各国の世界遺産のお話。
英語が話せず悔しい思いをしてから盛り返した話。

とにかく出てくる話全てがほぼ面白かった。
オフレコ話も含めて、話し込んでいたら、深夜になっていた。

旅に出る前はお互い英語なんて何も話せなかった。
「帰国子女による英語カフェ」なるものを勝手に企画し、
「ハロー、マイネームイズ○○。シーユー」で自己紹介が終わってしまった
ことに、お互いウケて終わるという有様だった。

そんな彼が、フィリピンでの3ヶ月の英語修行を経て、
英語もかなり話せるようになっていてびっくり。

人知れず相当な努力をしたに違いない。
その姿には相当痺れました。

僕は2年間ベトナムに居させてもらっているけど、
ベトナム語はおろか、英語も中途半端。

これから性根をたたき直します。


■自分の原体験が人を動かす

IMGP7674.jpg
*画像は太田氏とは全く関係がありません。



さて、そんな太田氏がなぜ世界一周をしているのか。
それは「若者のグローバル志向の底上げ」を行うためである。

詳しい背景はぜひプロジェクトのWEBを見て欲しい。

焦点は太田氏が個人で愚直に動きながら上記を実践していることです。

「グローバル展開・グローバル人材・グローバル教育」

巷では猫も杓子も「グローバル」です。

その背景は大体以下のようなものである。
「日本の市場縮小→海外(主に新興国)に出て行かなければならない→海外でも成果(=売上)を挙げられる人材=グローバル人材が必要だ!」

確かにそうかもしれない。
特に20代、30代の若い世代の人ほど、逃げられない世代かもしれない。
だからそんな人材に「ならなければならない」のかもしれない。

でも!でも、そんな中でも、ちょっと立ち止まって考えたいことがある。


「自分は心の底から、本当に『グローバル人材』なるものになりたいと思っているのか」
ということ。

TVや新聞、WEBの論客たちが書いている「グローバル人材」は
大体が「企業発信」である。

つまり、極論を言うと、企業にとって都合の良い人を使って自社のために儲けて欲しいだけなのだ。
今の時代ではたまたま「グローバル人材」という言葉にそれが集約されているだけなんだと思う。

でも、そこには肝心要の「自分」の理由がない。
人を動かす強烈な熱がないのだ。

国はグローバル人材の育成のための施策をあれこれと考えているみたいだ。
けれども、どの施策にも、「ねばならない」理由から出てきたものだから、ワクワクしない。
胸をズコーンと打ち抜くような熱を感じない。

しかし、太田氏の話を聞いて、この点がすっきりしたように思う。
つまり「自分の原体験」こそがこの「自分の理由」を形作るんだということ、

彼の話は、自分が学び、体験し、感じてきた結果生まれた「熱」があった。
例えば彼が出会ったあるスウェーデン人の話。

「スウェーデンは消費税率高いんだよね。でも俺が出会った○○っていうスウェーデン人は俺にこういったんだよ
。『俺はもっと払ってもいい。それほどこの国から恩恵を受けているからだ』と。世界にはこんな人、国があるんだと思うと楽しくて仕方ないよね」

「昔は俺のFacebookには外国人なんて一人もいなかったけど、今は世界各国沢山いるよ。
よくメッセージでやり取りするし、それだけでも楽しくて堪らないよね」

彼の口からはこんな話がバンバン出てくる。
全て実体験に基づいている話だからとても説得力がある。

そして、余りに楽しそうに話してくれるもんだから、
僕も今年中にスウェーデンにいくことをひそかに決意した程だ。

■「個人」でひろがる「グローバル化」
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ここまで書くと、「じゃあ別に世界出て行かなくてもいいよね?」
という話にもなると思う。

もちろん仰るとおりである。別に世界でなくてもいい。

けれども、自分自身ベトナムに2年間住んできて、幸運にも働かせてもらって
思うことが「日本以外の国ともつながって生きていくほうが圧倒的に面白い」ということ。
人は、というか自分も、義務感だけでは動かない。

でも「○○という国に△△っていう面白いやつがいるらしい」とか
「××という国に友達いるから、もう一度会いに行こう!」というような
ワクワクするようなこと、具体的で手触り感のある理由であればあるほど
動きたくなるもんだ。

つい昔までは、個人が世界に出て行こうとしたら、
大企業の駐在員になるしかほとんど方法はなかった。

でも今はインターネットがある。SNSがある。
そして経済大国日本を創り上げてきてくれた日本という信用がある。
つまり、行こうと思えば地球上の何処にでも行ける。

かつてないほど恵まれた環境に僕たち日本人一人ひとりが置かれている。
その中で、一プレーヤーとして、行動し、世界中に友を作り、
「俺はこれがしたいんだ!」という「自分の理由」を見つけること。

もし他の国の人が同じようなことをやろうとしても、
ビザやお金の問題は、そう簡単には実行出来ない。

でも、僕たち日本人は出来るのだ。
現に太田氏は既に行動に移し、日々自分を変え続けている。

近い将来、彼が作った世界中のつながりが大きな何かを創り出して行く
んじゃないかと思うと、僕自身も身震いがするほど楽しくなってくる。

こんな大切なこと、面白いことに気づかせてくれた太田英基さんに
これからも要注目です。

道中お気をつけて!最後まで良い旅を!

川村

*参考にした記事一覧

現場から世界を変える。アジアを飛び回る起業家、本村拓人(超良文。必読。)

広がりのグローバル、縮まりのグローバル
4月。日本では入学式・入社式など、新たな地で活動を始める方たちが多い月。
僕も4月1日を持って、ベトナムに来させてもらい2年が経った。

今までのこと、今のこと、そしてこれからのことを少し振り返ってみようと思う。

■「ベトナムフエで仕事をつくる」成果や如何に!?

約1年半の間で、色んな仕事をさせてもらった&つくってきた。
1:フエ外国語大学日本語教師(2010年9月~2012年1月)
2:チェンジメーカー留学inベトナム(2011年3月~継続中)
3:ベトナム武者修行ツアー(2011年3月)
4:co-creation-journey in ベトナム(2011年8月)
5:ベトナム人日本語ガイド育成(2010年4月~)
6:Global Challenge Program(2012年3月~)
7:フエについての記事執筆(2011年夏~)

日本基準で言ってしまうと、正直まだまだ安定的な収入にはなっていない。
また継続性もまだまだ。

その中でも、「ベトナム」をキーワードに
「日本人300人・ベトナム人1000人以上」には出会えたのではないかと思う。
上記の仕事もすべては「ご縁」から始まったことだ。

これらの仕事は最初から計画立てていたことでは全くない
そして僕に何か特別なスキルとか、経験とか、人脈があったからでもない。

恐らく
「日本から見たベトナムがたまたま注目されていたこと」
「ある程度自由に動ける若造がベトナム国内に少なかったこと」
が主要因なのではないかと思う。

ぶっちゃけてしまうと「ベトナムにいること」が時代の流れとたまたまマッチして、
そのまま仕事になっていったのだと思う。

今後、こちらで活動する上で、「ベトナムにいること」が価値になり続けていくとは
考えられない。だから、自分なりの価値を出していかなければならないと正直焦っている
気持ちもある。

とはいえ、これだけたくさんの方たちと出会え、仕事をさせてもらったこと。
ここで育まれたご縁にはただただ感謝しかない。
あの時、ベトナム飛び込んで、本当に良かった。今はそれしかない。

■改めて「なぜベトナムだったのか?」

2010年4月1日。
「片道切符で来たほうが後々カッコイイに違いない」
という理由で、片道切符を握りしめ、やってきたベトナム。

今、当時の僕に出会えるなら、こう言いたい。
「よく来れたな」と。

新卒後、入社した会社が1年で傾いた。皆、辞めていった。
意地でも残り続けてやる!と思った挙句の一斉解雇。
当時の様子はこちら

先輩10人中10人からは「早く転職活動をしろ」と言われた。
けれども、生意気にもしたくなかった。

なんか違うんじゃないかと。
だって、ただでさえリーマンショックという100年に1度と言われる
圧倒的不景気。

そんな中、日本中の求職希望者が「職という椅子」の取り合いをしていた。
でも、その椅子に乗っかったところで、またリストラされるかもしれない。

だったら、どんなに小さくても、椅子をつくった方がいいんじゃないかと。
生意気にもそう思い続けていた。

しかし、その気持ちとは裏腹に、とにかく何かをするだけのカネがなかった。
そして恥ずかしいことに、何かを考えるだけのアタマがなかった。。。

「何をしたいの?」と言われても、「仕事つくりたいんです!」
しか答えられなくて「アホか!」と言われまくっていた。

そんなときに突如出てきた「ベトナム」という選択肢。
「君がそんなことを言うなら、ベトナムで仕事をつくってみたらどうだい?」というある方からの提案。
最初は「行けるわけないでしょ。却下」とその選択肢を消していた。

でも、どこかワクワクを感じさせる「ベトナム」という響き。
気が付けば、日本にいるベトナム人留学生に話を聞きに行ったり、
ベトナムについての本を見ていた。

その結果辿り着いた結論。
「今、僕には何もない。しかし、そんな何もない若造が、
何もできないと思われる海外で、仕事を創れたとしたら、、、
そんなに面白いことはない!願わくばその事実によって誰かのチャレンジを促したい」

。。。今思うと、なんてエゴイスティックだったんだろう。
それでも当時はただそれだけの理由で、ベトナムで「仕事をつくる」ことに
チャレンジしようと思い、旅立った。

■ベトナムの初期活動

そんなこんなで辿り着いたベトナムはフエ。

当時から「カネなし、コネなし、経験なし」とは半ば自嘲気味に発信していたが、
正直なところ、怖くてたまらなかった。

だって、
ベトナム語分かんないし!
お金本当にないし!
友人いないし!
このまま世捨て人になるんじゃないか?もう日本社会に戻れないんじゃないか?

来たばっかりの頃はそんなことばかり頭を過っていた。

けれども、フエに来させてもらってすぐに分かったこと。
それは「日本語を話せる&勉強しているベトナム人学生がいる」ということ。

ベトナムに来る前までは「日本語教師」という仕事すらしらなかった。
日本語が仕事になっているなんて思ってもいなかった。
だって、「もうこの国は終わりや!」と思っていたから。

でも、毎日毎日一生懸命(えんぴつ持つところが削れるくらい)日本語を
勉強してくれている人たちがここにはいる。
お世話になっている大学でも、日本語は英語に次ぐ人気だった。

ここには僕がこれまで気づけなかった「日本」が確かにあった。
そして自然とそんな日本を創ってきてくれた先人たちの足跡を感じて、
ありがたいなと思うようになった。

そんなことをTwitterで発信をしていたら、たまたま旅行会社の方と
知り合う機会に恵まれた。
そこで生まれた仕事が2:チェンジメーカー留学inベトナムだった。

今思うと、この仕事は本当に原点だったと思う。
あの時、こんな自分を拾って、可能性を見出そうとしてくださった
Iさんには感謝しても仕切れない。

「捨てる神あれば拾う神あり」とはまさにこの事だと実感した。


■で、何したいの?

それからは、少しずつであるが仕事も増えてきた。
振り返って、ツアーの仕事が多いのも、きっと好きだからやっているんだと思う。

まだ2年目なので、もっと在住期間の長い人たちからすれば、
まだまだベトナムを分かっていないことが多すぎると思う。
酸いも甘いもこれからもっともっと知っていかなければならない。

ただ、この国の人たちが好きだし、これからも何かしたいと思っている。
では具体的に何をしたいんだ?と少し考えてみたけど、うーんなんだろな。

具体的なものはわからないけれども、「外国と日本の接点をつくる」仕事が
したいと思っている。

話が逸れるが、4月1日から、フエでとても親しくさせて頂いていた学生2名が
茨城のとある大学に留学することになった。

交換留学で1年間。
決して安くない学費・渡航費を払い、彼女たちは日本へ行った。

僕は彼女たちのお蔭で、ベトナムが好きになれた。
何もわからない中、義務感でもなんでもなく、一人の友人として
付き合ってくれ、たくさんの見所を案内してくれた。

そして一生懸命勉強する姿、日本人が少ない地域で、
日常会話はほぼ困らないレベルにまで上手に日本語を話す姿を見て、
「学ぶこと」への熱に何度も何度も奮起させられてきた。

そんな彼女たちが日本へ行くとき、思ったこと。

「日本に行ってよかった」

そう思って欲しい。

思えば、僕が日本に居た頃、日本に住んでいる外国人には
まったく興味がなかった。いや、その存在すら余り気に留めたことは
なかった。

でも、彼女たちのように、ありったけの想いを込め、
日本に留学してくれている外国人の方たちがいる。

ベトナムでは僕は外国人である。
そんな一外国人がこの国を好きになれたのは一重にベトナム人の方たちのお蔭だ。
ベトナム人の方たちが日本語を話してくれ、自分たちのことを精一杯案内してくれた
から、僕は今でも元気に生きている。生活をしていけている。仕事をさせてもらっている。

そんな彼女たちに居場所をもらったからこそ、今度は恩返しをしたいなーとぼんやり思っている。
それがベトナムでなのか、日本でなのか分からない。

ぼんやりと、日本で外国人用のゲストハウスをやれたらいいなとも思う。
日本に来ている留学生たちが集う寮をできたらいいとも思っている。
また、ベトナムに来る日本人の方たちに、ベトナム人の方たちとより濃く
接することが出来る場をつくるのにも関心がある。

グローバル化とか、日本はやばいから海外へ出ろとか、そういう
危機感だけでは人は動かない。


それよりも、彼女たちのように想いを持った人が、
日本と関わり合い、ダチ公になっていく。
そんな関わり合いの場をつくり続けていきたいと思っています。

「それで飯が食えると思うなよ!」

と思われたかもしれません。
まさにおっしゃる通りかもしれません。

でもやってみないとわからないじゃないですか!
フエに来させてもらった当初、今の仕事の形が出来るなんて、他人はおろか
本人ですらわかっていなかった。

けれども、その場、その瞬間で出会うべく人と出会えれば、
それは仕事になる。
そこから更につながれる縁があって、そこから更に生まれる仕事がある。

そういった繰り返しの中で、自分の役割、自分の仕事をこれからも
探究し続けていこうと思っています。

あとそろそろ28歳なので、嫁さんを見つけ…略。

今回は以上。
殴り書きで失礼しました!

川村


■6月5日(日)AM

その日は、フエフェスティバルを観覧するためにフエにきてくださった
ありえる鈴木氏徳井さん、そしてJICA黒田さんとコーヒーを飲みに行くことに。

もともと、ありえる鈴木氏が、先々月にフエに来たとき、黒田さんにお会い出来なかったことと、
あとは、今後私が、フエ大学で働かせてもらうことになったため、そのご挨拶をしようと
いうことで、この場がもたれました(というよりほぼ思いつきであったが、、、)。

色々と学びがあったので、つらつらと書いてみる。

・自分以外の全てはお客さん。相手が何を望んでいるのか、その声なき声に耳を澄ませる。
・その中で、自分が出来ること、貢献出来ることをし続けること。それが生きることそものもの
・川村は話が飛びやすい。自分にベクトルが向きすぎだからだ。相手にベクトルが向いていれば
 話が飛ぶことなんかはない
・会話に「間」が空くことを気にしてはいけない
・人は、「ないもの」を埋めようとしてしまいがち。それよりも自分が持っているものを
どうやったらいかしていけるのか。そう考えていこう

などなど、書き出したらキリがないのでここら辺で止めておきます。

しかし、久しぶりにお話してみて、やはり自分の未熟さを痛感したなー。

会社という所属がない今、生きることが働くことに限りなく近い状態。
その中で、接する人が全てお客さんなわけで。俺はそこをもっと意識して
生活していきたい。
いつの間にか自分のことで精一杯になってしまっていた。。、反省。

前職で先輩から頂いたアドバイスが身に染みます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・お客さんのために仕事をする。上司のためでも社内のためでもなく。
 良いかっこをしようとして仕事をすると、それは誰かとの【比較優位のため】
 仕事をすることになる。そこで身に着けたスキルはお客様のためのスキルではなく、
 自分のためのスキルになってしまう。
 その自分が積み重なっていくと、失敗したときに自分を捨てきれなくなる。結果、誰の役にも立たない
 自己満足の自分が出来上がっていってしまうぞ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

勝手な思い込みだが、僕は前職の人たちの色んな思いを背負ってベトナムに
来ていると思い込んでいる。

先輩方も相当無念な思いをされたと思うし、そんな先輩達から受けてばっかりで
何も返せなかった自分。

だから、このベトナムという地で、あの先輩達から頂いたものを少しでも返せるように
なりたい。

そんな想いを新たにした6月6日でした!

PICT0566.jpg
*下校途中の小学生を迎えに来る両親

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