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イリコ

2009/05/10カテゴリ:ベトナム以前

突然ですが、皆さん、イリコって御存知ですか?

うどんや味噌汁の出汁に使われる魚で、とてもいい味を出します。
最近は出しパックなどで粉砕されていることが多いので、イリコそのものを
見る機会はあまりないかもしれません。

さて、何を言いたいかといいますと、先日伺った水俣で衝撃的にうまいイリコを食しました。
参考:杉本水産

文章だと伝えずらいのが歯がゆいのだけれども、本当に美味しかった。
良く健康おばはんが「~~の食べ物は無添加云々だから美味しいのよ」とか言っているが、
そういうのは僕は嫌いだ。だっていくらこだわっていても美味しくないものは美味しくないんだもの。
でもね、このイリコは理屈抜きにうまかった。びっくりした。
もう離れられない。VIVAイリコ!

さて、前置きが長くなりましたが、今回も水俣訪問記の続きです。
イリコの話から書き始めたのは、この「イリコ」が水俣が生み出した未来への
希望だと感じているからだ。

あなたは水俣と聞いて何を思い浮かべるだろうか?
ほとんどの人は「水俣病」だろう。
僕も小学校中学校の試験で「Q:水俣病の原因は何ですか?」という問題で「メチル水銀」
と書いていたことを思い出す。多くの人にとってはただのテスト問題でしかない
水俣病。他人事だった水俣病。

でも、現場で見た水俣は想像を超えていた。

水俣病という戦後最大の「負」の遺産を背負った水俣という地域は、
今、確実に生まれ変わろうとしている。

水俣は、未だにモノの豊かさ以外の指標を見出せていないこの国の中で、
本当に小さな、小さな希望。でも力強く、脈打つ、簡単には消えることのない希望を
生み出し続けている地域だったんだ。

その希望の灯火を僕は前述した「イリコ」に見出した。

このイリコの生産者である杉本一家は、あの水俣病の発生地で昔から漁業を営んでいた。
そのために、水俣病が世に騒がれる前から家族が水俣病にかかり、想像を絶する
差別と偏見に晒されてきた一家である。

水俣病資料館で、杉本栄子さんは話してくださった。

おかしいなとおもった前兆は、枯れるはずのない樹齢300年の松が枯れ始めたことでした。
同じ時期に、海鳥がバタバタと空から落ちてきたり、猫が突然海に飛び込んだりし始めました。
皆、おかしいおかしいと思っていました。けれども、自分たちは漁業をしないと食べていけない
から、魚は獲り続けていたし、周りも同じでした。


そんな折、母が突然「手が痺れるんだ」「頭がボーっとする」と言い出しました。
最初は一過性のものかなと思っていたのですが、どうやら様子がおかしい。
母の症状は日増しに酷くなっていく一方でした。父が急いで病院に母を連れて行きましたが、
その日が母をこの村で見た最後の日になりました。


杉本さん一家は不幸にもその村での水俣病患者第一号となってしまった。
当時は、原因不明の伝染病だと思われていたため、それから杉本一家は激しい差別に
遭うことになる。

優しかった隣のおじさんに回覧板を持っていくと、人が出てこんのです。
「だれかいますかー?」と呼ぶと、スーッと長いホウキが伸びてきて、
「これに乗せろ。そしてもう来なくていいぞ」と言われました。
また、私が学校に行こうとすると、家の階段が糞まみれで外に出られんでした。
そして玄関口から「お前なんか出てくるな。病気がうつるだろ」という罵声が飛んできました


当時、杉本栄子さんはまだ小学生だった。ついこの間まで優しかった村の人々が
突然豹変してしまう現実を到底受け容れられなかったという。

なんでうちだけが水俣病になんかかかってしまったのか。その想いで一杯でした。
でも自分と同じ立場の父はそんなことは一切口にせず、黙々と母の看病をしていました。
「とおちゃんまで私のことを見捨てたんだ」。そう思ったらもう涙が止まりませんでした。


ある日、毎日母の看病に向う父を付けてみることにしたんです。
もちろん表から出て行くと村の人たちに何を言われるか分からないので、
父は毎日裏手から母のいる病院に向ってました。その日、草むらで父を見失って
しまい、早く追いつこうと走ったとき、しゃがんでいる父を見つけました。そして人知れず
ボロボロと涙を流していたんです。その時、「一番つらいのはとおちゃんなんだ。
私はこれくらいで泣いていたらだめだ」と悟りました。その時から一切泣き言を言うのを
やめました


話の最後を杉本さんはこう締めくくりました。

父はいつも黙って私にこう語りかけてくれました。
「網本は木を大切にし、水を大切にし、人を好きになれ」
「人さまは変えられないから自分が変わる」
今思うと、私たちは村で一番始めの水俣病患者になってよかったと思います。
もし二番目になっていたら、一番目の人をいじめていただろうから。
水俣病になったからこそ、自分が変われたんです。」



なんて優しくて、深い人間観なんだろう。僕が杉本さんの立場だったら、
果たしてそんなことが言えるんだろうか。身震いが止まらなかった。
と同時に人はどんな絶望でも、希望を見出して生きていけるんだ。
人ってなんて力強い生き物なんだろうと。そう思いました。

杉本栄子さんは父が亡くなった後、自分自身も軽度の水俣病に悩まされ、
10年間ほぼ寝たきりだったということだ。

それでも「水俣病は、私の守り神、ノサリだった」と言う。
ノサリとは、天の恵みといった意味の方言。「おかげで、食生活を完全に学ぶことができた」。
寝たきりから回復した要因を聞くと
「食べ物で病気になったとですけん、食べ物で直したとです」と言う。

杉本さんが作るイリコにはそんな杉本家の想いがギュッと詰まっている。

人はどんなに絶望に立たされてもなお、希望を創りだすことが出来るんだ。

これが最大かつ忘れることのない学びとなった。

今、自分も、周りも閉塞感で一杯だ。
何に向っているかは分からない中で働き続ける日々。
でも、そのレールを降りた先に何があるか分からないから、降りる勇気なんて
持てない。この道が何となく間違っているんじゃないかと思いつつも、じゃあ何が良い
のかなんて分からない。

都会の仕事は基本的に「価値のある(と皆が信じている)ものにさらなる価値を
つける」ことだと思う。

だからこそ、こう思う。「これにどれだけの価値を付ける必要があるんだろう」と。
ここに今の閉塞感の一つの原因があるんじゃないか。

まだうまく言語化できないけれど、例えば営業をやっている方は
自分が扱う商品をどれだけ「本当に良いものなんだ」と信じて
売り込みをしいているだろうか。

世にあるほとんどの商品はもう違いなんてない。
だから、競合同士が熾烈な競争を行うしか道はない。
その過程で多くの営業マンは疲れ果ててしまって、辞めていく
人も出てきてしまっているだろう。
そういった人たちを「甘い」という言葉で一蹴してしまうことはとても簡単である。
自分もそう思ってしまう部分もあるし、もっと頑張れるんだと日々自分を鼓舞して
働いている。

自分が多くの時間をかけて扱う商品に対しては愛着を持ちたい。
自分が心から「良い」と思うものを気持ちよくお客さんに買っていただきたい。
こう思っているのは自分だけではないんじゃないかな(と信じている)。

だからこそ、これからの仕事は「価値がない(と思われいる)ものに、自分が信じる価値を
付けていくこと」が主流になっていくのではないかと勝手に思っている。

水俣湾のイリコなんて、一般的に考えたらどうみても価値がない。
まず水俣病になるんじゃないかと思って普通は食べないだろう。

でも、杉本さんは水俣湾の元々の豊かさを知っていて、再生することが出来れば、
かならず美味しいイリコを作ることが出来ると信じて、ずっと行動し続けてきた人だ。

その想いが味に変わり、今回それを食べた僕を打ち抜きました。

この「想い」に僕は金銭面以上の価値を僕は感じたし、まずは自分の周りに伝えて行きたいと
思って、こうしてブログに書いている。(しかも金額もそんなに高くないよ!500円で買えます)。

今、忘れ去られた価値がゆっくりと、静かに、でも確かに新たし形で蘇ってきている。
今回はイリコであったが、まだまだ眠れる価値は沢山あるはずだ。

本当に素敵な経験をさせてもらいました。水俣の皆様、本当に有難う御座いました。

次回:地元学の実践者吉本哲郎さん(*『地元学を始めよう』)が水俣で行っていることを書きます。

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