2011年12月の記事一覧

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ヒルカワユキ

ひるかわ


今、この名を聞いて「(;゚Д゚)!<ナンダト!」と立ち上がった人が
10人はいるのではないかと思う。

彼女は、ベトナム中部はもとより、一部のホーチミン在住者の中でも
その名を知られている(かもしれない)有名人である。

そんな彼女は今、ベトナムはホイアンという世界遺産の町で
『Cool Japan』というお土産屋を経営している。
*ブログはこちら→『ベトナム・ホイアンでお土産屋さんをつくる


「え、海外で、お土産屋さん?いいですね。元々経験あった方なのでしょうね」
と思われたそこのあなた。それは大いなる勘違いである。

彼女はお店を持った経験もお店で働いた経験もない。
それどころか、ホイアンに来た当初は、お土産屋をやろうと思っていた訳ではない。
お金があった訳でも、語学が堪能だった訳でもない。

それでも、彼女はどうしてお土産屋を経営することになったのか。
個人的には彼女が辿ってきた経緯は、これからの働き方に
大きな示唆を与えるものだと思っている。

そんな訳で、友人の一人として書かねばならぬ!という使命感に駆られているため、
ここに、彼女への応援を込めて、紹介をしたい。

最初に断っておくと、彼女の軌跡は正直「(?_?)訳が分からない」と思います。

本人に聞いても、「んー、たまたま!?」と言っているくらいなので、
寛容な心でご覧頂ければ幸いである笑。

■ホイアンで働くまで~ベトナムにスパークする~

ひるかわ以前


さて、そんなひるかわさんだが、なぜホイアンに来たきっかけは
何だったんだろうか。

彼女曰く
「旅行で来てスパークしてしまったから」だという。

彼女はダナン・ホイアン・フエを旅行したのだが、
その中でもホイアンの町並みに「脳天が撃ち抜かれました」
とのこと。

普通であれば「また旅行で来ます~ウフ」で終わるのだが、
彼女はそこで終わらなかった。

「ここで働きたい。。。」

ホイアンで働くとしたら「雇われる」か「起業する」しかない。

しかし、彼女はベトナム語はもちろん、英語も話せない。
恐らく雇われるのは無理だろう。起業するにしてもお金がない。

そんな中彼女が下した結論が
「ホイアンでアイドルグループ」=「ホイヤン娘」をつくるだった。。。

(;゚Д゚)!<エッ???


■「ホイヤン娘」誕生?

当時彼女は28歳。当然ながら周りは止めた。今思うと
なんと良識ある大人たちに囲まれていたんだろうかと思う。

しかし、そんな的確なアドバイスも彼女の情熱には勝つことが
出来なかった。

ホイアンを始めて旅行したのが2010年の5月、同年8月には
早速「ホイヤン娘」として乗り込んできたのだ。

(「ホイヤン娘ライブ」の様子)



・・・とはいえ、彼女も「ホイヤン娘では食えない」ということは自覚していた。(と信じたい)
ホイヤン娘を本業(!?)としつつも「何か道はないか」と周りの人たちに聞きまくっていた。

そんな中、出てきた選択肢が
「ホイアンの仕立て屋さんの『日本人集客のための広報』という仕事」
であった。

この話の発端は、僕が務めている会社の社長が、ここの仕立て屋さんと
仲が良く話をしていた時。

そんなときポロっと
「日本人に向けてPRしたいんだけど、日本人って何考えているかわからないから、困っているんだよね。」
と漏らしていたとのこと。

そんな話を社長経由に、なぜかひるかわさんが聞きつけ、
「(・∀・)ノ<それ、私やります」と即手を挙げたのだ。

しかし、どこの誰だか分からない日本人にいきなり仕事なんか
任せる訳がないのはベトナムも同じ。

「だったら実績を作ればいいじゃない」と乗り込んできたのが2010年8月。
この月は、「ホイアン日本祭り」という日本人が比較的多く集まるお祭りが開催される月である。

そのお祭りに標準を合わせ、彼女は早速、そのお店のための
チラシを作り、日本人を見つける度に「(`・ω・´)<すみませ~ん、日本人ですか?」
と声かけをして、チラシを配りまくっていた。

そんな甲斐あってか、なんと100枚配布し、10人程が来店し、
購入するという奇跡の効果を挙げたのだった。


その実績がお店に評価されて「じゃあ、まず半年くらい仕事してみてよ」
ということで、目出度くホイアンで働けることとなったのだ。
*もちろん本業は「ホイヤン娘」である。


彼女を見ていると

「言い続けること」
「とにかくやってみること


の大切さを痛感する。

普通ならば、「~が出来なければ~してはいけない」
という「事前準備」に気を取られがちである。

しかし、彼女の場合は「とにかく働きたい」という思いだけで、走り続けた。
その結果、ついにホイアンで職を得てしまった。

しかも単なる押し売りではない。
きちんと相手にも成果を出して、お互いが納得した上で、職を得ている。

「こんな形の職の得る方法もあるんだな」と
僕自身、とても刺激を受けた。

その後、2011年2月からめでたくホイアンで働き始めたひるかわさん。
もちろん本業のホイヤン娘の活動も忘れず、その後も精力的に
活動を続けている。
この活動のために、日本で2ヵ月程、秋葉原でメイド喫茶で
経験を積むという謎の修行までしてきている。

ひるかわメイド
*お客様と一緒に。


更に、なぜかピアノも弾けるらしく、地元の名士の子供たちに
週末はピアノを教えてもいる。

町を歩けば「Yuki!Yuki!」と声を掛けられている。
既に「ホイヤン娘」としての一歩を着実に歩み始めている。。。

■晴れて海外無職に
トライアスロン 
*トライアスロン大会にも参加していた。

順調な滑り出しで始まったひるかわさんのホイアン生活。
しかし、ここはベトナム。そう簡単には事が進むハズがない。

ひるかわさんが働き始め、6ヵ月後。
なんと契約は更新されなかったのだ。

理由は「まだ日本人向けPRは早かった」というもの。
ひるかわさんは、毎月、自身の給料分の2倍以上は成果を出していた。

しかし、経営層の方針として決まってしまったらしく、どうすることも出来ない。
そして彼女は仕立て屋さんを辞めることとなった。

普通であれば「しょうがない、一旦日本に帰るか、、、」となると思う。
しかし、ひるかわさんはあきらめない。

何か道があるはずだ。」と。

この間、晴れて海外無職となった彼女は、一食40円のご飯で日々を過ごす。
そんな中でも「あそこのお店はご飯が少し多いの、ウフッ(´∀`*)」と日々を
楽しく生きていた。
→当時の心境を綴ったブログ:『お腹がすいていなければハングリー精神は生まれないのでは

僕も海外無職経験が半年くらいあったが、日に日に減っていく貯金を
目の当たりにすると否が応でも生命力が出てくるんです。
あの時のひるかわさんは、尋常じゃない目付きをしていたな。。。

■出資者現る

その後、事態は少しずつ変わっていく。
まずは、5つ星ホテルの「日本人ゲスト対応」という仕事を
友人より紹介してもらい、早々に食いつなぐことに成功する。

そして、その後彼女と共に「ホイアンで新しいお土産屋さんをつくろう」
という方が現れたのだった。

その方は山口揚平さん。
数々の大型M&A案件を手がけたこともあり、
現在は会社を経営されている起業家である。

yamasann.jpg 


そんな山口さんがなぜひるかわさんと???
と疑問を持たれるかと思う。

実は山口さんのご友人が2010年の年越しイベントをホイアンで企画されていた
ことがあり、そこに山口さんが参加されたのだ。

そしてその場に
ひるかわさんがたまたま居合わせ、意気投合したことから
「お土産屋さんをつくる」ことへ話が発展した。

これを単なる偶然と見るかどうかは人それぞれ。
ただ、僕は偶然ではなく、彼女が引き寄せた必然だと思っている。

彼女を見ていていつもすごいなーと思うのは
「喜んで人から助けてもらえる才能」である。

海外で一人仕事をするとなると、一人では本当に何も出来ない。
言葉が出来ない場合はなおさらだ。
そんな時、「喜んで人から助けてもらえる」才能が大切だったりする。

ひるかわさんの場合、それを生まれ持っているように思う。
「ホイヤン娘」をきっかけとして、日本語を勉強しているベトナム人学生を
巻き込むことで縁を拡げた。

仕立て屋さんでも、真面目に働きつつも、忘年会などで
「臨時ホイヤン娘」になったりして、周りを盛り上げていた。

「またYukiが奇妙なことをやってるぞw。しゃあないな、手伝ってやるか」

と言わんばかりに愛されながら人に手伝ってもらっている。

「スキル」が無いなら、ないなりに出来ることをし続けた結果、
今、お土産屋さんを立ち上げるところまできている。

その姿を見て、本当にすごいなーと、喜んで巻き込まれている友人の
一人として思うのだ。

■お土産屋「Cool Japan」の今とこれから
Cool Japan 
その後、晴れてホイアンのお土産屋「CoolJapan」は
新装開店した。

「ホイヤン娘」活動時に、たまたま知り合ったベトナム人の
女性パートナー(日本語堪能・何でもつくるクリエイター)とも協力し、
山口さんの出資を受け、今、まさに試行錯誤中だ。

傍から見たら「おいおい大丈夫かよ」と思われるかもしれない。
けれども、自分でリスクを取り、試行錯誤を重ねている姿、それ自体が
とても尊いことだと僕は思っている。

これは何も僕だけが思っていることではない。
既に沢山の応援者が彼女の知らぬ間に現れている。

実は、先週日曜日に、彼女の一時帰国に合わせて報告会を行なった。
その時、知り合いの方から初めの方まで総勢20名以上が集まったそうだ。

これからどうなるかは、僕も、周りも、そして本人も分からないだろう。
しかし、彼女が歩み始めた第一歩が、少しでも周りによい影響をもたらすことが
出来るようになることを信じて、僕も出来る限りのことをしていきたいと思う。

■最後に
ゆかたひるかわ 


実は昨日、Twitter経由で、とある医科大学に通う学生と少しお話を
させて頂いた。

その学生は、周りを見ていて、「皆、自分らしさを忘れているんじゃないか」
と感じてもやもやしていたとのこと。

そんな中、「日本以外の国を見てみようと」思い立ち、ネットを見ていたところ
なぜか僕に連絡をしてくれた。

超不安定の代表格みたいな自分からすると、「一体何を悩む必要があるんだYO!」
と思ってしまう。

がしかし、ふと「安定であればあるほど生きる躍動感からは離れていく」のではないか
と感じた。

そんな中、ひるかわさんという日本の安定からは離れたにも関わらず、
より人と近くなっている姿、日々試行錯誤を重ねるその姿は「生きる」こと
そのものなんじゃないかと。

人を幸せにするために作られたあらゆる制度が壊れかけている今だからこそ、
安定から離れれば離れるほど人と近づく」ことを体現しているひるかわさんから
学ぶことはとても多い。

これからもどうかホイアンの「Cool Japan」及びひるかわさんを宜しくお願いします。
住所はこちらです→17 Hoang Van Thu

お店はもちろん、彼女に会うだけでも面白い出会いになるのではないかと思います!
長くなりましたが、今日はこの辺で!

川村



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