最新フエの日常の記事一覧

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こんにちは!川村です。

フエも最近めっきり寒くなってきました。
長袖が必須です。

さて、twitter経由でぼちぼちご連絡を頂いていたんですが、
この度、ブログデザインを一新しました。

デザイナーは兼康希望さん
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皆さん、この名前の読み方お分かりになりますか?
希望と書いて「のぞみ」と読むんです。一見して親の期待値が分かりますね。
俺もこんなかっこいい名前がよかった。。。

さて、実は彼とは大学のみならず高校の後輩でもあります。
大学時代は同じサークルでもあったりして、色々と遊んできました。

実は高校時代、お互い全く知らなかったんだけれども、
僕らの高校は「私立男子校・落ちこぼれ・進学校になりたい学校」
ということで、本当に地獄のような所でした。

毎日、授業後に「確認テスト」なるものが実施され、それに受からないと
本当に帰してくれず、何度泣いたか分かりません。
ある日は深夜11時を超え、終電を乗り過ごしたこともありました(リーマンか!)。

さて、そんな地獄体験をお互いにしていたこともあって、
すぐに仲良くなり、度々つるんでいました。

そんな彼は大学時代から、WEBデザインに興味があって、一人で黙々と勉強していました。
最初は「HTML?なにそれいくらするんですか?」みたいなレベルだったけれども、
見る見る内に力をつけ、大学時代は、稀代のWEBデザイナーとして活躍してくれました。

個人的にとても好きなサイトがこれ→早稲田リンクス街プロジェクト

卒業後、彼はさらに技術を磨くべく、面白いWEB企業に入り、
今もバリバリと働いております。

さて、話が大分それましたが、、、
僕がベトナムへ旅立つことが決まったのが、今年の3月。
何が出来るのはさっぱり分からなかったので、先人たちに意見を伺うと
「まあ、半年はブログを書くことか、ツイートすることだけだよ。」
と言われておりました。

それだったら、ブログくらいはいいものにしたいなーと思っていたところ、
頭に思い浮かんだのが兼康君でした。

*兼康=兼

僕:「あーもしもし、兼康?突然なんだけど、自分ベトナム行くことになりました」
兼:「なんと!」
僕:「恐らく、何も出来ないんだけど、せめてブログは書きたいと思っています。
   なので、ブログデザインしてくれませんか?報酬はいつかベトナムで合コン
   開催するので頼む」
兼:「OKOK。先輩、何たわけたこといってるんですか?僕はプロですよ。ブログのデザインくらい
   ソッコー作ってあげますよ。」
僕:「なんとまあ頼もしいね~。あなたのような後輩を持てて嬉しいよ」
兼:「いやいやこちらこそ。世話のやける先輩ほどかわいいもんなんですよ。」
僕:「・・・・・・」
兼:「では一ヶ月待ってください」
僕:「はい」

・・・以上のようなやりとりで即決。
素敵な後輩が持てて、僕は幸せ者です。

さて、その後、彼はそんな約束をすっかり忘れており、そのまま時が流れていきました。
つい先日、「あのー、例のお話、ご進捗はいかがでしょうか?」と話をすると
「ああ、あれね。すぐやるよ。」ということで、今回は本当にソッコー作ってくれました。
これから彼と少しずつ改善を加えていきながら、面白いブログにしていきます^^


最後になりますが、改めて友人たちに助けられているなと思います。
兼康君も仕事が本当に忙しい中で、ほいほいと作ってくれました。

別に断ろうと思えば、断れたはずなのに、協力してくれる。
改めて彼との縁に感謝です。
いずれは彼にもベトナムに来てもらって、一緒に仕事したいな。

ということで兼康さん。
打ち合わせ通り、今回のブログはべた褒めで終わっておきます笑。

それではまた!

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*本写真は記事とは全く関係がありません。何となく載せたかったのです。

川村
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かなりお久しぶりです。川村泰裕で御座います。

9月・10月と本当に沢山のことがありました。

・ブログ経由で、日本からわざわざ来てくださったご夫婦をご案内したり、
・フエの観光調査のために、学生と日本人観光客を探しに駆け回ったり、
・フエにインターンにきてくれた日本の大学生とワイワイしたり
・大学の同期が5人もフエにきてくれたり
・人生初入院をフエでしたり

などなど、盛り沢山な日々を過ごしておりました。
そんな日々を過ごす中で、9月30日にベトナムで26歳を迎えました!

誕生日前日~当日は、沢山の学生たちが祝ってくれました涙。
中でもびっくりしたのが、カラオケ屋で祝ってくれたときのこと。

丁度その時日本から友達がきていたので、学生から
「先生ー、折角なので、カラオケいきましょうよ」
ということだったので、いくことにした。

カラオケ屋につくと、「じゃあ、とりあえず先生、先に入ろうか」
という指示を受け、大人しく従うことに。

すると、目の前にいきなり「花火」が現れた。

「え?カラオケ屋で花火?どういうこっちゃ!?」と、
いきなりのことだったので何が何だか分からなかった。

お構いなしに部屋中花火で煙まみれになりながらも

「先生、おめでとう!」
「先生、26歳本当におめでたいですね」
「先生、26歳ですね。ベトナムでは皆とっくに結婚していますよ」←おい

ということを言ってくれたので、「ああ!僕を祝ってくれているんだ!」ということに
ようやく気付きました(遅いよ)。

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*ケーキ点火!ぶれまくり。。。

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*カラオケ屋にて。ハート型に並べられたロウソクの中で、
ケーキを持って座らされる。何があるかと思ったら皆笑っているだけだった。。。


次の日の授業でも、何と生徒たちが事前にケーキ&シャツを買ってきてくれ、
祝ってくれた。
誕生日
*誕生日ケーキ♪

誕生日シャツ
*いかした黄色T

とても嬉しかったが、
「先生、次は歌ってください」と言われ、恥ずかしながら歌うと、
「んー、じゃあ次はダンスいこうか」ということになり、ソーラン節を踊る。

すると、「じゃあ、次は外行こっか」ということになったとき。
「これはどうやら授業をこのまま終わらそうとしているな!?」
と気付き、生徒たちの反感を買いながらも、授業を完遂した。危ない危ない。

誕生日集合
*集合写真。いやー照れますな。ありがとう皆!


その他にも直接メールをくださった日本の友人たち、本当にありがとうございました。
かつてないほど祝ってもらった26歳になりました。

昨年の今頃は、、、確か会社の業績がやばすぎて、社長から重大発表があったな。。。
そのことに気をとられ過ぎて、すっかり誕生日なんか忘れていた。
当時の自分はまさか26歳をベトナムで迎えているなんて、思ってもいなかった。

人生って本当に何が起こるかわからないし、だからこそ生きていく面白さが
あるんだなと感じている。

ということで、折角なので「今」感じている気持ちを記録したいと思います!

フエで働かせてもらい早6ヶ月。最初フエでの仕事を頂いたとき、
「ああ、、、フエって魚の名前ですか?」と言って
「それはクエだ」と怒られていた頃を懐かしく思う。

4月から6月は、フエでガイドの日本語を教える仕事、7月はダナンでガイドの日本語を教える仕事。
そして8月は、フエ観光局と日本語ガイドさんたちと「フエ観光盛り上げるべ」ということで、
ガイドさんたちとの勉強会をやろうと企画したり、
9月からは、3ヶ月の間で出来たご縁で、フエ外国語大学で働かせてもらうことになった。

そして今は、日本語教師をやりながら、
ガイドさんたちと日本人観光客の方たち向けのツアーを企画したりしている。

ベトナムに来る前に決まっていた仕事はボランティアだったため、
仕事があるうちになんとか次の仕事を創るor就くしかなかった。

これに関してはほんとーにあてがなかった。
ビザの更新も迫っていたし、そのままの状態が続けば日本へ強制帰国
しなければならないところだった。

そんな中でも、ごちゃごちゃと動き回ることで、色々なことが分かってきた。
例えば、フエでは日本語教育が盛んであること。
しかし日本人が少ないので、非常に困っている状況であること。
そこで、大学にお願いしたところ外国人講師として雇ってもらえることになった。

また、観光の面でも、政府(観光局や経済局)や旅行会社は日本人観光客にきて欲しいと思っているが
「日本人がこちら側にいないのに、どうすりゃいいの!?」と困っているという状況だということが分かった。
だから、こんな若造でも求められることがある、出来ることがある。

日本では「もう自分は完全に終わった」と思っていた。
けれども、「日本人」であるだけで、求められ、必要とされる地域が、まさか海外にあるとは思ってもいなかった。
こればっかりは、現地の人たちとつながりを作り、話さないと分からなかった。

人生でこの半年ほど「日本人であること」を意識したことはないし、
ベトナムから見ると、日本はまだまだ魅力的な国なんだということにも気付かされました。

ないない尽くしな自分が唯一持っていた「日本人」であること。
それだけで成り立つ仕事があり、求められる余地があること。
これはもう過去の記事で何度も書いているが、日本の先輩たちのお陰だ。

だからこそ、その遺産を食い潰すことだけはしたくない。
1984年9月30日に生まれた僕。
この混沌とした時代に生まれ、今ベトナムで働かせてもらっていること。

世界中全ての人を幸せには出来ないかもしれないが、せめて自分が関わっている周りを
少しでもよくしたい。そのために自分は一体何が出来るんだろうか。
もし神様がいるとしたら、一体自分に何を求めているんだろうか。。
(と、柄にもなくそんな高尚なことを考えてしまう。たまには真面目になりまっせ)。

日本にいた頃は「海外で働く」といったら、商社やメーカーなど大企業の
ごく限られた人たちが何年も頑張って、出世をするための一環として、海外に出ていく
ものだとばかり思っていた。

仕事経験も少ない、語学も出来ない、しかもどこにも所属していない日本の若造が、
いきなり飛び込んで仕事をするなんて、考えられないこと。

ただ、兎にも角にも飛び込んで見た身として思うのが、その地には
何十年、何百年と代々住み続けている人たちが日々一生懸命生きていて、
文化を大切にして暮らしているということ。
そしてその現場では、語学スキルよりも「友達になる」ことの方が大切だということ。

友達になるには、堅苦しい語学スキルなんていらない。
まずは、相手の言語で挨拶をして、後は笑顔で、一緒に食事をすれば、友達になれる。

これは、逆の立場で考えると、日本人も同じことを思うだろう。
「言ってることは良く分からないけど、一生懸命自分の母語を話そうとしてくれている外国人」
に対して嫌な顔する人なんかいない。

むしろ、もっと言葉を教えたいと思うし、折角自国にきてくれたんだから、
何か美味しいものを沢山食べてもらいたいと思うのが世界共通の人情だと思う。

そんな当たり前なことに、僕は日本にいるときは気付けなかった。
「海外で働く」際によく言われいたことが「語学スキルと日本での経験が必要だ!」
ということであった。それがない自分には海外なんて関係ないことだと思っていた。

しかし、今ではその話は、海外を「マーケット」として見て、
「ビジネス」をする時の話だと思っている。

そうではなく、その国を「生活の場」として考えたい人。
そして、その国の人たちと住み、文化を知りたいという思う人。
その延長線上に仕事をしていきたいor創っていきたいと考えている人にとっては、
海外は思っている以上に身近な存在であると思う。

「日本語」を使った仕事が存在していること。
「日本人である」だけで求められる現場があること。

上記のような要望は、東南アジアにおいてまだまだ存在しているし、
日本人である僕達はこの資産を活かさない手はない。

だからこそ、「いきなり海外に出る」という選択肢は限られた人の話ではなく、
日本人であれば、誰にも開かれた道であるとさえ思う。

とはいえ、自分はまだ何も出来ていない存在である。
だからこそ、ここの人たちと一緒に仕事をつくっていきたいし、
中途半端なままでは日本へは戻れない。
自分が納得できるまで、この地で、言葉を覚え、文化を理解し、
そして仕事をつくっていきたいと思う。

最後になりますが、本日とある友人とスカイプで話していて感じたことを。

彼女は日本でも有数の大手企業で働いて、しかも抜群の成績を
あげている。しかし、そんな中でも絶えず自分に満足はしていなくて、
常に自分の道を模索し続けている。その姿が、周りの心を動かし、
彼女の周りにはいつも素敵な人たちが集まっている。

そんな彼女から頂いた言葉。

「去年から比べると、たった一年でこれだけ環境が変化して、
色んな人と関わりを持つことが出来たのは凄いと思うよ。
だから、あと1年、2年経ったらもっと面白いことになっていると思うし、
これからの川村が本当に楽しみだよ


自分では全く意識していなかったが、確かに言われてみればそうかもなと。
だからこそ、まだまだ出来ていないこともあるし、やりたいこともあるから、
この地で頑張るぞと思う。

そして何よりもこんな言葉を投げかけてくれる友人を持てたこと、
まずはそれ自体が本当に嬉しい。
彼女を始めとして日本の友人たちがいなかったら、僕は何も出来ない。

傍から見たら、「若造が何を言っとるんだ。こいつはアホか」と感じると思う。
しかし、友人たちは、そんな世間一般な考えを言うどころか、
一緒に仕事づくりを手伝ってくれている。

僕も同じような立場に立たされた友人や、将来、自分のような無謀だと
思われることをしている若造に出会ったとき、頭ごなしに否定するのではなく、
僕の友人のような態度で接することの出来る人になりたい。

そして、何だか良く分からないけど、取り合えず行動し続けて、
壁にぶち当たりながらも一歩ずつ進んでいく、そんな人かっこわるいけど
かっこいい人でありたい。

以上です。長くなってしまいましたが、本日はこの辺で。
これからもどうかよろしくお願いします!

川村
こんにちは。川村です。
ベトナムに来て、早2ヶ月半。
相変わらずベトナム語は分からないですが、1日1単語でも
通じると嬉しくなる日々。
先週と今週は色々とあったので、書き留めておきます。

■6月10日(木)「最後の授業」

本日は、フエに来て初めて任せてもらっていた
観光ガイド育成の最後の授業。

最初はフエのフの字も知らなかった。
生徒達が毎日バイクで色んなところに連れて行ってくれたお陰で、
少しずつ理解出来るようになっていった。

彼らとは、先生と生徒というより、もはや友達と言った方が
適切かも知れない。

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そんな彼らとも、この日で一旦お別れ。
最後の授業であったので、これまで2ヵ月間の振り返りを行うことにした。

そして、1時間くらい経ったところで、なにやら生徒たちがざわざわし始める。

「え?最後の最後でボイコット!?」

と心配になったが、何とYシャツとズボンをプレゼントしてくれた。。。

とても仲良しのハン君が出てきて、
「先生は、いつも同じズボンとシャツね。お金がないんでしょう。
分かっています。
だから、これは皆からのプレゼントです。大事につかってね!」

というお言葉を頂く。
お金がないの下りは余計なお世話だが、このプレゼントは本当に嬉しかった。

プレゼント代もとても高い物だ。
そんな中こんな見送りをしてもらえるとは思ってもいなかった。
思わず涙が出そうになった。というか出てしまった。

彼らはどうして、こんな一外国人に優しく出来るんだろう。
授業期間中も、いろいろご馳走もしてくれ、ベトナム語も沢山
教えてくれた。

結局、何も返せないままに、授業を終えてしまったのが、本当に
申し訳ない。

彼らにおんぶに抱っこな2ヵ月間だったけれども、とても楽しかった。
彼らのお陰で僕はベトナムが、フエが大好きになることが出来たよ。

これから先、彼らからの恩を少しでも返せるように、仕事していきます。
本当にありがとう!

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*ありがとう皆さん!


■6月11日(金)「チェックアウト&移動toティン君」


この日は、前日飲みまくった影響で、完全な2日酔い。
しかし、なんとこの日は2ヵ月間お世話になり続けた
「センホテル」のチェックアウト日。

そんな大切なことを、すっかり忘れていた僕は、
掃除のおばちゃんにたたき起こされ、急いで片付けの
準備に入る。

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*かわいい受付嬢。かなりの恋愛上手笑。次回夕食食べにいきます。

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*センホテルの兄ちゃん。謎のヘッドロックをかけられる

なんとかチェックアウト時間は間に合うが、肝心なことを忘れていた。
そう、次の泊まる宿がないのだ。

お金はないので、ホテルには極力泊まりたくない。
かといって、路上生活はさすがにキツい。

うーんどうしようか。。。

そんなことを考えていたら、ふと閃いた。

「そうだ、生徒の家にお邪魔しよう」


教師としては、どうかと思うが、背に腹は代えられない。
そして、一度ベトナムの学生がどんな生活をしているのか
とても興味があったため、早速交渉に入る。

目星はついている。

「一人暮らしであること(=親に迷惑は掛けられない)」
「男であること(当然)」

その結果、当てはまった被害者は大学2年のティン君。

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*いつも元気な2年生ティン君。ハノイ出身。「タ」行が言えず、いつも困っている。

しかし、交渉は難航。

僕「your room is my room.OK?」
ティン「No!No!you must pay 1000000VDON for me!(=約5000円)」

こうしたやり取りを続けること小一時間。結局「毎日朝ごはんを奢ること」
という結論に、互いの利害が一致し、ティン君の家に居候させてもらうことが
決定する。

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*固い握手を交わす

一人暮らし用の家なので、当然狭い部屋だ。
日本でいう長屋みたいな場所であり、
隣近所にティン君と同じように一人暮らししている友人が多数住んでいた。

そのため、居候させてもらった17日まで、毎晩皆とご飯を作ったり、ビールを飲みながら、
ワールドカップを観たりととても楽しい時間を過ごさせてもらった。

そして、ベトナム学生たちの姿がとても羨ましいなとも思った。
隣近所両隣どころか、その地域一体の人たちと関わりあいまくって生活している。

基本的にはとても不便な状況である。
例えば、2日に1回は必ず停電が起き、満足に勉強は出来ない。
暗闇で日本語を勉強しつづけている女学生が沢山いた。
*ちなみにティン君は毎晩酒を飲んではすぐに寝ていた。
しかし日本語はとてもうまい。。。ベトナムの謎だ。

多分、30年くらい前の日本と同じ姿なんじゃないだろうか。
最近、日本ではシェアルームやシェアハウスが流行っているが
(僕もしていた)、こういうなんともいえない暖かさが感じられる生活は
やっぱりいいなと実感。

毎晩飲んだ暮れて、寝言を言いながら寝るティン君をみて、
何だか涙が出たのは秘密です。


お金があれば快適な部屋に泊まれただろう。
しかし、ないからこそ、人と関わり合えるんだな。
若干都合のいい解釈だが、とても大切なものに気づかせてくれた
ティン君に感謝!
ワールドカップ終わったら、日本語勉強しろよ!(笑)

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*お昼ご飯

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*みんなとお昼を食べる


■6月12日(土)・13日(日)
「gotoハノイ」

この日は朝早くに、ハノイへ遊びにいくことに。
目的は、ハノイで起業されている日本人の方2名とお会いさせて頂くためである。

僕と同じ大学同じ学部の10年くらい前の卒業生の方であったため、
これは話を聞かねば!と思い、すっ飛んでいった。

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*ハノイの一風景

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*中村さん宅からみた風景


ハノイは2度目だが、相変わらず活気が凄い。
バイクの量はフエとは比べ物にならない。
市場もおばちゃんも気のせいか鋭い目をしていた。。。

そして、お会いさせて頂いた先輩は、堀田さん。そして堀田さんを
ご紹介してくださった中村さん。

中村さんは、日本の旅行会社で実績を積まれ、その後起業。
その後、99年にハノイでカフェを経営。そして、同時並行で
ホイアン・ダナンにて、ベトナム最大規模のお祭りの企画・運営を
行っていらっしゃった企画人である。

堀田さんは、大学卒業後、商社、そしてユネスコの野球普及大使として
ベトナムで働かれ、その後一時帰国の後、ベトナムで起業されたパワフルな方。


仕事をつくるに当たって、お二方から大切なことを沢山ご教授頂く。
裸一貫の状態にあって、こうしたアドバイスをいただけることは
本当に嬉しいこと。

僕も、将来(どうなるか分からないが、、、)、無謀な若者に出会ったら、
頭から否定することのない、アドバイスが出来るようになりたい。


今回はこんなところで〆。それではまた書きます!

今日は、昨日エアコンの効いた部屋でお腹を出してねていた(!?)ため、
少し風邪気味(なんてだらしない・・・・・・)。

そんな訳でついに3日連続更新!やれば出来る子だ(笑)。

■AM7時:起床
■AM7時半:朝食

今、宿泊させてもらっているホテルは「SENホテル」というところだ。
SENはベトナムの花でもある「蓮の花」を意味する。

なぜこんな話をしたかと言うと、
ここのホテルにはSENのようなとてもかわいい受付の女性(24)がいる。

今日、時間があったので、話しているとどうやら日本語の勉強がしたい
とのこと。

僕:じゃあ大学いったらどう?(夜間クラスなどもあるため)
受付:いや、時間がないのよ。それにあなたから私は勉強したいの。。。
僕:Yes!of cource!
*注:かなり、僕のフィルターがかかっていることをご了承ください

ということで、毎日1時間日本語を教えることになりました。
また、彼女はベトナム語と英語が堪能なため、僕はそちらを教えてもらうことに♪

うーん、話すといいことあるもんだ。

■AM10時:観光局の方とMTG

今後のガイドのクラスをどうしていくかなどをお話させて頂く。
日本語ガイドクラスは、今までフエではやったことがなく、
今回の僕のクラスが初めての取り組み。

試行錯誤中だが、徐々に関係も出来てきて、これからも継続して
仕事がしていけそう。

改めて思ったこととして、大切なのは「仕組み」ではなく「一対一」の人間関係であること。
これ以上でもこれ以下でもない。
国が変わろうが、これは変わらないと感じた。

これからもミクロの関係性を大切にしていきたい。
仕組み化は得意な人に任せて、僕はずっと現場の人間でいたい。

■PM12時~PM13時:ランチwith早大助教授+JICA隊員+某農大研究員の方

以前、友達経由で、ご紹介頂いた早大の助教授であり、現在フエの遺跡調査を
行っていらっしゃる助教授の方と、フエで仲良くなったエリナちゃんと斉藤敦子さんとランチ。

このつながりがどうなるか分からないけれども、自分が持っているつながりは全面解放して、
何かお役立ち出来ればと思う。

■PM13時~PM15時:メール返信などなど
■PM15時~PM17時:日本語ガイドの方にお話を伺う

生徒のお母さんだったのだけれども、ものすごいプロ意識の高い方で
とても勉強させて頂いた。本当に勉強になった・・・・・・。

■PM17時~PM23時:就寝

風邪が悪化し、寝込む

■PM23時~今!

ということで変な時間に寝てしまったため、もろもろの雑務処理に追われる。

今日も色々あったな。
最近、ベトナム語を勉強できていない。
というより、指差し会話帳しかないため、体系的に勉強が出来ない。

まあ、一冊を使い込めばなんとかなるっしょ。

明日もがんばるぞー。

それではお休み!
今日もあつかったー!

ということで、1日1更新を目指し、今日も更新します。

■AM7時~8時半:起床&朝食

前日の反省を活かし、今回は前日に生徒たちと
朝ごはんを食べる約束をしておいた。

何とかおきることに成功し、近くの
コムヘン屋さんに食べに行く。

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*フエでおなじみしじみご飯。これがうまいんだな~

■AM8時~9時半:諸々身支度

・AM9時半~PM12時:近くのカフェでメール返信&明日の授業の添削

約60枚の日本語の作文を前に、途方に暮れながら、地道に添削をする

■PM12時~PM13時:昼食

居座るつもりのカフェが突如停電。
仕方なく、ホテルに戻ると、なにやらおいしそうな匂いが。

「混ぜご飯つくったから、良かったら食べていってよ!」

ということで、そっこーで食堂に行き、無事昼飯にありつく。
ここのオーナーさんが本当にいい人で
「一度、ここに泊まった人はみんな家族だよ。好きなだけたべなさい」

・・・・・・お父さん、お母さん、もう一つの家族が出来ました。

■PM13時~PM15時:昼寝

■PM15時~19時半:84ism記事執筆&日本語添削

実は、現在「84ism
というメディアに、ベトナムで働く日々を連載させてもらっている。

[過去の記事]
僕がベトナムで働くわけ
日本人として生まれた僕

同世代向けの同世代のためのメディアなので、僕の経験が何かお役立ち出来ればと
思い、マイペースで書かせてもらっている。

今日は折角時間が出来たので、一本書かせてもらいました。
近日UP予定なので、ご覧ください~。

■PM19時半~PM22時:現地の日本語教師の方たちとお食事

昨日に引き続き、3人で食事へ。
現地での日本人同士の付き合い方などとても勉強になる。
こういうご縁を作ってくださっているMさん・Kさん、
得体の知れない僕とお付き合いして頂きいつも有難う御座います!

■PM22時~PM22時半:なぜか自転車の鍵がなくなる

移動距離20Mにして、なぜか鍵がない。
なぜだ。。。その日は引張ってホテルまで持っていく。

■PM22時半~現在:メール処理などなど

日本での盟友あやちゃんから嬉しいお知らせが届く。
具体的に仕事に出来そうな種が芽を出しそうだ。
これはじっくり育てていくそい。


そんなこんなで本日も〆。

毎日地味な活動だけれども、着実に一歩一歩進んでいる気がする。
明日も楽しむぞー。

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