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私の仕事は私です

2014/01/06カテゴリ:ベトナム以前

2014年が始まりましたね。
明けましておめでとうございます。

川村@ホーチミンです。

ベトナムフエに始めて来させてもらったが2010年4月。
現在は2014年1月。もう3年と9か月前になるのか。

今振り返ると、何が出来たかと言われると、
胸を張って「これが出来ました!」というものは正直ない。

その都度、その都度頂いたご縁を頼りに、
一つひとつ積み重ねてきた結果、今はホーチミンで働かせてもらっている。

食べ物に困ることもなく(それどころか現在は+10キロ増)
住むところに困ることもなく(現在は気のいいルームメイトとシェアルーム中)
着るものに困ることもなく(服装はダサいといわれるが、、、)

この3年9か月間、生きて来れた。
それもこれも、周りに居てくださる皆さんのお陰だとつくづく思っている。

今、担当させてもらっている仕事は、そのほとんどがご縁だ。
たまたま、友人同士で、相談されたことから始まったり、
このブログ経由でお仕事を頂いたり。

周りの人からは、「川村は何の仕事をしているの?」と聞かれるのだが、
自分でもどんな言葉で表現したらいいのか分からない。

既存のカテゴリにはめようとすると、
・進出支援
・採用支援
とかにはなるのであるが、どれもしっくりはこない。

自分が考え、行動し続けてきた結果として、今の仕事があるので、
既存の仕事のカテゴリーから選ぶことは出来ない。

敢えて言うなら、「川村泰裕」という仕事をさせてもらっていると
(ちょっとかっこつけんがら)感じている。

このようにおもえると、どんな仕事も楽しくなってしまう。
なにせ自分の仕事だと心から感じているからだ。

今回は以上です。
それでは今年もどうかよろしくお願いします。

川村 拝
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ホーチミンで働き始め早3か月。
フエ時代とはくらべものにならないほど、
刺激的な毎日を送らせてもらっている。

何がよいかって、やっぱりエネルギー値が高い
ベトナム人が多いので、刺激を受けることがいいよね。

特に海外を経験してきたベトナム人からは考えさせらえることが多い。
アメリカ、フランス、ベルギー、オーストラリア、
ニュージーランド、インド、日本、韓国、中国、などその多様性には
ただただ驚くばかり。

僕もベトナムという海外で働く日本人のはしくれとして、
彼ら、彼女らの海外生活と比較しながら話をしていた。
そんなとき、あることに気づいた。

海外を経験してきているベトナム人に共通することは
徹底的に「個の力」を磨いてきているということだ。

時には語学であったり、プログラミングであったり、
学位であったり、その形は多様であるが、皆、「これをやり切った」
というものを、ベトナムに持ち帰っている。

何でそんなに頑張れるのかなと思ったときに、
海外で生活、仕事をしているベトナム人には、
「国」や「企業」といった後ろ盾は何もないんだ。

だからこそ、個人で勝負するしかないのだ。
これは、短期的には辛いことかもしれないが、
少なくとも僕がこれまで会ったベトナム人たちは皆、
それを乗り越えてきている。

対して、僕の場合。
ベトナムという国で、日本人として働く際、
多くの方が良い印象で出迎えてくれる。
少なくとも、よほどのことがない限り、嫌な顔をされることはない。

それは、ベトナムでは、「日本」が多くの場面で貢献しているからだと思う。
例えば、日本製品のバイク(ホンダ・ヤマハ)が街を埋め尽くしていること。
アニメ(ドラえもん等)が、昔からベトナム人の間で親しまれていること。
日本語学習をしてくれているベトナム人が全国に2万人ほどいてくれること。

など、数え上げればきりがない。

僕は、そんな「日本の資産」のお陰で、ベトナムで仕事をさせてもらっている。
多くの日系企業が、社内言語は日本語で通せてしまうことは象徴的なことじゃないかな。

「日本」「日本企業」という後ろ盾を、本人が気づかずとも
もててしまう日本人。一方、後ろ盾がないベトナム人。

双方が、同じ海外で働くとしても、それぞれが置かれる立ち位置には
大きな差があることは事実なんだ。

でも、一見、そんな不利な立場に置かれながらも
懸命に努力をして、スキルを磨いてきたベトナム人と出会う度に思うんだ。
「彼ら・彼女たちと同じことを僕は出来るのだろうか」と。

何も後ろ盾がない。頼れるのは自分だけ。
そんな環境で、ベトナム人たちはたくましく生き抜いてきている。
彼らの話は聞いていて面白いし、その一方で、強烈な嫉妬心を感じてしまう
自分もいる。

始めてフエに行ったときは、「頼れるのは自分だけだ!」
と思っていたが、実際には、日本という資産、
そして日本語を勉強してくれている心優しきベトナム人の皆様に
助けてもらうことが出来た。

これはこれで大きな学びであったが、
最近は「日本という国が全く知られていない国で
そこまで勝負できるのか」を試してみたい気持ちがむくむくと出てきている。

とりあえず、2月の連休中には、キューバにいくことにした。
本当の社会主義国家を知りたいということはあるのだが、
あまり日本が知られていないという点でも、自分が試される現場なのではないかと思っている。

3年を超えても尚、刺激を与えてくれるベトナム人には感謝しても仕切れない。
次なるステージに向け動き出そう。

今日はこの辺で〆。
''Việt Nam có quyền lực cá nhân''

Anh đã làm việc tại thành phố Hồ - Chí - Minh trong 3 tháng.
Anh quan tâm đến cuộc sống tại thành phố Hồ Chí Minh.

Bởi vì ,có rất nhiều loại của người Việt Nam tại thành phố Hồ Chí Minh.
Ví dụ , một số người đi ra nước ngoài Mỹ, Singapole , Nhật Bản , Châu Âu , những người khác .
Bất cứ khi nào anh nhìn thấy chúng anh cảm thấy quyền lực cá nhân từ họ.

Khi nguoi nhat ra nước ngoài các nước khác ,
chúng ta có thể cảm thấy năng,đặc biệt nguoi nhat tại quốc gia châu Á .
Ví dụ có rất nhiều sản xuất Nhật Bản ( Honda, Yamaha, Ajinomoto,,, )
tại Việt Nam.
và ,GDP ở Nhật Bản là thứ ba trên thế giới.

anh đánh giá cao thực tế này, bởi vì nhờ có Nhật Bản , và Nhật Bản cũ .
chúng ta có thể đi làm việc và du học ra nước ngoài dễ dàng .

Mặt khác, nhiều người Việt Nam không có điện nước .
nhưng họ có một quyền lực cá nhân hơn Nhật Bản.
họ có thể nói tiếng nước ngoài không chỉ tiếng Anh mà còn là ngôn ngữ khác.

khi nguoi viet học và làm việc ở nước ngoài , họ nghiên cứu và làm việc chăm chỉ mỗi ngày
không có sức mạnh của đất nước và công ty .
 
anh không thể hình ảnh tôi làm việc ở nước ngoài mà không có điện nước .
nhưng nhiều công việc vietbamese và nghiên cứu mà không có điện nước .

nhiều người Việt Nam nói cho nguoi Nhật Nhật Bản là đất nước tốt .
nhưng nhiều người Nhật Bản cũ thành lập Nhật Bản người không còn trẻ hiện nay.

trong tương lai, Việt Nam sẽ là quốc gia tốt bởi trẻ Việt Nam .
trong Mặt khác, Nhật Bản sẽ là quốc gia tốt hơn bằng cách giới trẻ Nhật Bản ?
Tôi không thể nói Có mạnh mẽ .

Vì vậy,anh muốn làm việc và nghiên cứu nhiều hơn và nhiều hơn nữa từ những người Việt Nam .

cac ban nghi the nao?
2013年12月7日(土)、とある男がホーチミンに降り立った。

彼の名前は藪下成仁(やぶしたなるひと)。
今年9月に早稲田大学を卒業した、鹿児島出身、23歳。

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*バリアブンタウへ出陣前の藪下氏(ベンタイン市場前にて)

彼はこれから、ベトナム南部にあるバリアブンタウ省にある
バリアブンタウ大学東洋学科にて、日本語教師として働く予定だ。
6か月間の契約。ボランティア扱いのため、給与は食べていけるくらいが支給される。

そのような条件の中、なぜ彼はバリアブンタウで働くことを決意したのか。
また彼は何を目指しているのか。

これから彼が起こすであろう流れにワクワクしている身として、
彼への応援も兼ねてここに書くことにする。

◆きっかけは元教え子からの1通のメッセージ
今回の求人は、バリアブンタウ大学で働く私の元教え子からのメッセージが始まり。

「先生、今、うちの大学では日本語のボランティア教師を探しています。今年の12月から先生の知り合いでバリアブンタウで働きたいという若い人はいませんか」とのこと。

連絡を受けた瞬間は「いやー、それは流石に無理でしょ。しかも若い日本人っていってもほとんど働いているからな。しかも12月ってあと一か月後じゃん」というのが正直な所でした。

もちろん、バリアブンタウはベトナム在住者かつホーチミンに住んでいる人であれば大体知っている地域です。でも、日本人にとっては馴染みが薄く、そんなところに、しかもボランティアで飛び込んでくる人なんていないだろ。と思っていました。

ただ「大事な教え子からのお願いだし、Facebookには載せておこう」という気持ちもあったので、とりあえず投稿をしました。

*以下原文ママ。ご覧の通り、かなりざっくりしています。
====================================
【ボランティア日本語教師@ベトナム募集中!】
私のフエ時代の学生が、現在、ベトナム南部のバリヤブンタウ省にある
バリヤブンタウ大学で日本語教師をしています。

現在、3か月から6か月(1年以上も可能)
の日本人の日本語教師を募集しているとのことです。以下が条件みたいです。
・ビザ手配
・無料の部屋を貸出(エアコン・インターネット・パソコン・テレビ・シャワー付き)
・給料も出ます
・対象者は大学卒業した方 とのこと。
バリヤブンタウは石油が出る関係でベトナムで一番GDPが高いところとして有名です。最近、日系企業の進出もあり発展の余地がかなり見込める土地だと思われます。
9月卒業をして、半年時間がある方などおススメです。
興味ある方は川村までメッセージください!かしこ

川村
====================================
「よしよし、これで約束は果たした。」と思い、FBを閉じようとしました。その間5分。
FBメッセージ欄に何やら一通のメッセージが。

*以下原文ママ
=====================================
川村さんへ
はじめまして!Facebook上でフレンドの薮下成仁です。
川村さんの、日本語教師を探しているという投稿をみて、ぜひやりたいです!

僕は、昨年9月に早稲田大学政治経済学部を卒業し、現在は一級建築士の資格を取るべく製図の勉強を独学でしています。
予定では、来年の春より通信制の大学に編入学し、設計事務所でバイトをしながら二年で大学卒業し、二級建築士資格取得とともに、設計事務所で働くつもりです。

それで今回、川村さんのお話に非常に興味があります。
と言いますのも、僕は大学一年生(2008年秋)より四年間、道塾という学習塾でこの身を投じてきました。

在学中は、「卒業後も教師として仕事をしていこう!」という意志で、就職活動も教育一本でやってきました。京セラ、KDDIを創った稲盛さんのような熱い魂で、教育業に携わりたいと思ってきました。もちろん、いまも変わりません。

でも、どうしても子どものころからの夢であった建築士という職にも携わりたくて、建築設計の道も自分の選択肢内にいれて、今を生きています。

だからもちろん、川村さんの今回のお話を聞かなければ、大人しく設計の勉強しながらバイトをし、無事来年の春から通信制に通う予定でした。

しかし、川村さんの今回のお話がかなりアツいものなので、やってみたくてたまりません。なぜなら、
1. 僕は、高校二年のころから他の国で生活することに憧れてきたが、お金を言い訳にして、今まで諦めてきたから、今度こそ叶えたいという気持ちがあります。

今年の冬から来年の春まで、いや秋までなら、ベトナムという地で、教育業の仕事をしながら、建築の勉強も両立してやりたいです。

英会話能力なら、なんとかできます!
昨年夏に、Couch Surfingを通して一ヶ月に22人の海外旅行客を自宅に招き、拙い英語を鍛え、人生初の海外旅行として一ヶ月間スウェーデンに行きました。
======================================
Σ(°Д°υ)<興味ある人イターーーーーーーーーーーーーーーーーー!

この時点で、藪下さんとは直接会ったことはなく、このやりとりが初めてでした。
しかし、投稿→返信までの5分間でよくぞここまでメッセージを書けるものだなと感心してしまったことを今でも覚えています。おそらく日頃アンテナを張っていて、既に自分の気持ちは言葉にしていたから、ここまでの文章を書けたのだと思われます。

その後、何度かスカイプでの面接、及びバリアブンタウ大学へのご挨拶も行いました。
話はトントン拍子に進み、昨日より彼は本当にベトナムに来て、明日より勤務をすることになっています。

◆特技は‘独学’

彼とのやりとりを通じて一番驚いたのが、履歴書にある「特技欄」でした。
彼は特技欄に‘独学’と書いていました。
最初に見たときに、「???」と思ったのが正直な所でした。しかし、話を聞いていくうちに「こいつはとんでもない大物なのかもしれない」と思うようになりました。

例えば、彼は100年の歴史がある実業系の高校に通っていました。
その歴史の中で初めての早稲田大学政治経済学部に現役で入学。しかも、全て独学。

高校入学当初はやさぐれていて、そんなに勉強しなかったそうだ。しかし、稲盛和夫氏の著作と出会い、「自分がいる環境を受け入れて全力を尽くすことが大切なんだ」と痛感。
その後、猛勉強を始め、直ぐにぶっちぎりの学年1位に躍り出たとのこと。

これを象徴するエピソードとして、「入学後の特待生枠の獲得」というものがある。
高校2年のとき、様々な事情から、彼は学費の面でどうしても学校側との折衝が必要だった。そんな中、彼が出している圧倒的な成績、そしてその背景にある努力を知っていたある先生が、学校側と直接交渉をし、異例の「入学後の特待生(=学費免除)扱い」となったとのこと。藪下さん自身はこのことにとても感謝の気持ちを感じていて、未だに母校には強い愛情を持っているそうです。

その他にも、「大学入学後のゼミで頑張りまくった結果、母校である高校初の指定校推薦枠を設けることに成功した」こともある。これも、藪下さんの頑張りと成果に共感をした指導教授が、自ら推薦枠を作ってくれたとのこと。

そして藪下さんの独学エピソードの極め付けが「スウェーデン式教育の飛び込み調査」だ。
大学3年生のあるとき、「英語を話せないといかん!」と思い立った彼は、如何にお金を掛けずに、かつ最も効率的に英語を話せるようになるかを考えました。

最初に行った企画が‘日本にいる外国人観光客へのガイド’である。
自身がシェアハウスにいたこともあり、宿としても開放して、積極的に交流を図りました。

そして、それだけに飽き足らず、「日本が全く感じられない場所で英語を鍛えよう」と、
ガイドで縁のあったスウェーデンに飛び込み訪問。

折角だからということで、自身が興味を持つ「教育」というテーマを勝手にして、
1か月間スウェーデンで過ごしたそう。

しかも航空券などの諸経費すべて込みで8万円で過ごしたそうです。途中、現地の大学も友人の好意から聴講させてもらうことになり、プチ留学生として、現地の大学生とも交流を図っていたとのこと。
(このスウェーデン式教育については滅茶苦茶興味深い話ばかりでした。
‘シェア’‘フェア’‘公共心’という3つのキーワードが特に興味をそそられました。
これは1年以内にいくしかない。この内容については別途ブログで書きます。)

このように、彼は「今ある環境を受け入れ、どうしたら、お金を掛けずに、
かつ目標達成に向け効果を最大化するか」という能力(=これが‘独学’ということなのでしょう)
に非常に長けていると関心してしまった。

◆天は自ら助くるものを助く

自分がなしとげたい目的や、目標に対して、
「自分の頭を使って考え、行動し続けること」=‘独学’なのだと感じました。

特に、安易にお金を使って、面倒なことをショートカットせず、
自分の目的に対して、効果を最大化するにはどうしたいいのか。
を考え抜いている姿には感動すら覚えました。

今回のボランティア講師の件についても、
採用が決まると、直ぐに、周りの日本語教授法をこれまで独学で勉強。

しかも知人を辿って、海外で日本語教師として働いている方達からもアドバイスを求め、
一瞬で計画表を作っていました。

彼を見ていると「学ぶ」原点とは、誰かに言われるまでもなく
自分で興味があることを発見し、
それを自分で探究していくことなんだなと思い知らされます。

しかも、藪下さんが素晴らしいなと思うことが、
節目節目で回りが応援したくなるような人柄なんだとも思います。

高校時代にしろ、大学時代にしろ、彼の学ぶ姿勢に打たれた先輩たちが、
彼を何らかの形でサポートしています。

今回、ホーチミンに来てくれた時も、とある知人を紹介しました。
その時も藪下さんは真摯に、「今、この人に貢献できることは何だろう」ということを考え、
相手の強みや良い点を引きだそうと話をし続けていました。

そんな人に対する真摯な姿勢、そして自分に対する厳しさが、
周りが自発的にサポートしたくなる所以なのでしょう。

藪下さんは明日より、文字通りゼロからベトナムでの生活・仕事を始めます。
今のところバリアブンタウには一人の友達や知り合いがいません。ベトナム語も全く分かりません。
それどころか、お金もありません。まさに、3年前の私、川村と全く状況が同じです。

ただ、バリアブンタウはこれからの発展が見込まれている地域であり、
日系企業の進出も相次ぐ、注目されている地域です。

その中で、基幹人財となる日本語学習者をまとめるバリアブンタウ大学に、
中の人として関わる予定の藪下さん。これからどんな動きを自ら創りだすのか、
とても楽しみです。

きっと、ベトナムでも‘独学’精神を発揮し、仲間を作り、地域に貢献し、
バリアブンタウにはなくてはならない存在となっていくに違いありません。

私も微力ながら、サポーターの一人として、そしてライバルとしても、
彼と切磋琢磨していきます。皆さん、藪下成仁をどうかよろしくお願いします!

川村
石渡さん
*先日の帰国時にチェンジメーカー留学inベトナムの関係者と撮った一枚。


久しぶりの更新です。
特に何かタイトルが決まっているわけではないけど、
書きたくなったので、思うがままに書き始めていきます。

今年ももうまもなく11月に入りますね。
2013年、改めてどんな年だったかな。

自分自身は正直、とても苦しかった年でした。

それまでの活動拠点であったフエからホーチミンに拠点を移したこと。
今まで現地採用として働いていたのが、駐在員扱いとなって働き始めたこと。
日本での仕事をさせてもらいながら、ホーチミンと行ったり来たりした生活になったこと。

自分自身の中で、自分の決断が正しかったのだろうか。
今までこのブログで発信してきたことに反する決断をしてしまったのではないか。
そんなことがずっと肚に落ちなくて、発信することもためらっていました。

そんな気持ちをずっと持っていたのですが、先日の帰国時にとあるイベントに参加しました。

過去の「チェンジメーカー留学inベトナム」に参加した学生の皆さんが、
今年の夏に、自分たちで、ベトナムでうどんやら、インターンシップをしてきた
報告会が行われるということで、見学してきました。

その時、とある女子学生から頂いた言葉にぐっと来てしまった。

「留学やインターンをしている友人に対して「なに熱くなっちゃってんの~」「そういうのいいよ」「頑張ってるね~(半笑い)」と言っている人、結構います。(ほんとに)
でも私が思うに彼らも本当はやってみたいと思ってる。何かに取り組んでキラキラ、イキイキしてる同い年を見て焦る気持ちと悔しい気持ちがあるんだろうなあ、と。」


こんな感想を述べてくれた彼女は、1年前のこのツアーに参加してくれた。
ツアーに参加後、当時決まっていた内定先を蹴って、そこから、自分が本当に納得できる就職活動を
するために、再度就活をし直していた。

その後、無事内定も頂き、残りの学生生活を、とあるホイアンのお土産屋さんで
店長として3か月間働いていました。

そこでは過去最高の売上を上げるなど
大活躍していました。さすが運動会出身。。。。

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*ホイアンのお土産屋さんの前にて


またある女子学生は、「ホイアンで讃岐うどんをつくる!」プロジェクトを始めていました。
彼女は出身が香川県でした。香川といえば讃岐うどん。その讃岐うどんを世界に広めたい!ということで、
「ベトナム・ホイアンで讃岐うどんをつくる」イベントを勝手に開催していました。

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*ベトナム語で「讃岐うどんをつくりましょう!」と書かれたチラシ

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*イベント当日は大盛況!


何か凄いかって、このイベントを実施するために、企業人の方達が
沢山、喜んで巻き込まれていって、まさにプロジェクトとして本格的に
運営されていたことです。

僕も企業人のはしくれなので、日本で働く企業人がいかに忙しいかを知っています。
そんな人たちが、一学生の、「ホイアンでうどん祭りをする!」というイベントに
喜んで巻き込まれていった、そのプロセスにとても感心してしまいました。

これだけのうねりを作った女子学生はもちろん、
学生の突拍子もない行動に対して、面白がってどんどん共感して、サポートしていった
プロジェクトメンバーこそがすごいよなーと思いました。
自分だったら、忙しい中、こうした活動をサポート出来ただろうかと思ってしまう。


他にも、前々からの夢だった世界一周に旅立った卒業生もいる。
自分の道を信じて、ホームレスの支援を続けている卒業生もいる。
「IT×地ビール」という切り口で、新卒一年目ながら、
国内外で忙しく働いている卒業生もいる。

この一年、ずっと自分にベクトルが向き過ぎていたなと思った。

ベトナムで働き始めて約3年6か月。
当初は全く意図していなかったけど、知らぬ間に
「これだ!」と思う道を自ら見出して、歩み始めている方達に
こんなに囲まれていたんだな。

会の最期に、私の恩人ともいえる方からこんなことをおっしゃって頂きました。


「独立しているとか、会社員だとか、そんなこと関係ないんだよ。
これだけの縁が広がってきているのは、唐津、川村が右往左往しながらも、
ずっと挑戦し続けてきているからだよ」


僕としてはそんな意識はなかったのだけれども、
信頼している方からそんなことをおっしゃって頂けるのは素直に嬉しかった。

僕は今年で29歳になりました。
ベトナムに来たばかりの頃は25歳だったので、あっという間だと言えば
あっという間でした。

その中で、ぼんやりと思ったいたことが
「何か、言葉にならないけど、そのもやもやを何とか形にするために行動する人」
を後押ししたり、後押しし合えるコミュニティーを作りたいと思っていました。

そのためには、まず自分自身が誰よりも行動しないといけないと考え、
ごちゃごちゃともがいてきました。

その途中結果が、3年後、こうした形で見せてもらえるなんて思ってもいなかったことだし、
心から、この報告会の場にいる皆さんと出会えてよかったと感じました。

25歳当初、「カネなし、コネなし、経験なし」の自分を笑っていましたが、
将来をいたずらに悲観することなく、目の前にあるご縁を一つずつ積み上げてきたら、
自分が思ってきた姿に少しずつ近づいているなと思います。

あかりや

akariya2.jpg
*東京で借りている長屋「あかりや」。こちらも良い感じの場になりつつあります。


「日本人は夢がない」
「日本人はやる気がない」
など、しばしばいわれることですが、僕はそんなことはないと信じています。

誰もが、自分の「生」を真っ当したいと思っています。
それが今の日本で生まれた若者にとっては、必ずしもお金に直結しないんです。
だから、すぐには説明できなくて、結局周りに合わせた選択をしてしまう場合があります。
でも、その先は長く続かない。だって、自分に嘘をついているんだから。
卒業して6年経って、自分を、そして周りを見てみると、これは本当にそうだなと思います。

反対に、最初は周りに反対されながらも、自分の直観と情熱を信じて、お金にならない
道に突っ込んでいった友人は、不思議とお金も生み出し、生き生きと毎日を過ごしています。
彼らが生み出した新しい選択肢は人に勇気を与えます。

繰り返しになるけど、必ずしもすぐにお金にならなくったっていい。
歌が得意な人は歌を歌って、人への貢献すればいい。
ダンスが得意な人はダンスをすればいい。
海外では日本では普通なことが価値を生んだりします。

もっと自分が持つ才能に正直になって、形にすればいい。
そうした小さな貢献が積み重なると、信頼が生まれます。
そして、それはやがて、少しずつお金という形に変わっていく。

社会とつながったり、人とつながることで、自分の役割とか、存在感は見てくるもの。
その繋がり方の多様性を創り出していきたい。最近はそんなことをずっと思っています。

ちょっとまとまりがなくなりましたが、今日はこんな所で〆。
内省が主な記事になってしまった。次からはもっと楽しい内容にしよっと。

ここまで読んで頂いた皆様、ありがとうございました。

川村

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