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4月。日本では入学式・入社式など、新たな地で活動を始める方たちが多い月。
僕も4月1日を持って、ベトナムに来させてもらい2年が経った。

今までのこと、今のこと、そしてこれからのことを少し振り返ってみようと思う。

■「ベトナムフエで仕事をつくる」成果や如何に!?

約1年半の間で、色んな仕事をさせてもらった&つくってきた。
1:フエ外国語大学日本語教師(2010年9月~2012年1月)
2:チェンジメーカー留学inベトナム(2011年3月~継続中)
3:ベトナム武者修行ツアー(2011年3月)
4:co-creation-journey in ベトナム(2011年8月)
5:ベトナム人日本語ガイド育成(2010年4月~)
6:Global Challenge Program(2012年3月~)
7:フエについての記事執筆(2011年夏~)

日本基準で言ってしまうと、正直まだまだ安定的な収入にはなっていない。
また継続性もまだまだ。

その中でも、「ベトナム」をキーワードに
「日本人300人・ベトナム人1000人以上」には出会えたのではないかと思う。
上記の仕事もすべては「ご縁」から始まったことだ。

これらの仕事は最初から計画立てていたことでは全くない
そして僕に何か特別なスキルとか、経験とか、人脈があったからでもない。

恐らく
「日本から見たベトナムがたまたま注目されていたこと」
「ある程度自由に動ける若造がベトナム国内に少なかったこと」
が主要因なのではないかと思う。

ぶっちゃけてしまうと「ベトナムにいること」が時代の流れとたまたまマッチして、
そのまま仕事になっていったのだと思う。

今後、こちらで活動する上で、「ベトナムにいること」が価値になり続けていくとは
考えられない。だから、自分なりの価値を出していかなければならないと正直焦っている
気持ちもある。

とはいえ、これだけたくさんの方たちと出会え、仕事をさせてもらったこと。
ここで育まれたご縁にはただただ感謝しかない。
あの時、ベトナム飛び込んで、本当に良かった。今はそれしかない。

■改めて「なぜベトナムだったのか?」

2010年4月1日。
「片道切符で来たほうが後々カッコイイに違いない」
という理由で、片道切符を握りしめ、やってきたベトナム。

今、当時の僕に出会えるなら、こう言いたい。
「よく来れたな」と。

新卒後、入社した会社が1年で傾いた。皆、辞めていった。
意地でも残り続けてやる!と思った挙句の一斉解雇。
当時の様子はこちら

先輩10人中10人からは「早く転職活動をしろ」と言われた。
けれども、生意気にもしたくなかった。

なんか違うんじゃないかと。
だって、ただでさえリーマンショックという100年に1度と言われる
圧倒的不景気。

そんな中、日本中の求職希望者が「職という椅子」の取り合いをしていた。
でも、その椅子に乗っかったところで、またリストラされるかもしれない。

だったら、どんなに小さくても、椅子をつくった方がいいんじゃないかと。
生意気にもそう思い続けていた。

しかし、その気持ちとは裏腹に、とにかく何かをするだけのカネがなかった。
そして恥ずかしいことに、何かを考えるだけのアタマがなかった。。。

「何をしたいの?」と言われても、「仕事つくりたいんです!」
しか答えられなくて「アホか!」と言われまくっていた。

そんなときに突如出てきた「ベトナム」という選択肢。
「君がそんなことを言うなら、ベトナムで仕事をつくってみたらどうだい?」というある方からの提案。
最初は「行けるわけないでしょ。却下」とその選択肢を消していた。

でも、どこかワクワクを感じさせる「ベトナム」という響き。
気が付けば、日本にいるベトナム人留学生に話を聞きに行ったり、
ベトナムについての本を見ていた。

その結果辿り着いた結論。
「今、僕には何もない。しかし、そんな何もない若造が、
何もできないと思われる海外で、仕事を創れたとしたら、、、
そんなに面白いことはない!願わくばその事実によって誰かのチャレンジを促したい」

。。。今思うと、なんてエゴイスティックだったんだろう。
それでも当時はただそれだけの理由で、ベトナムで「仕事をつくる」ことに
チャレンジしようと思い、旅立った。

■ベトナムの初期活動

そんなこんなで辿り着いたベトナムはフエ。

当時から「カネなし、コネなし、経験なし」とは半ば自嘲気味に発信していたが、
正直なところ、怖くてたまらなかった。

だって、
ベトナム語分かんないし!
お金本当にないし!
友人いないし!
このまま世捨て人になるんじゃないか?もう日本社会に戻れないんじゃないか?

来たばっかりの頃はそんなことばかり頭を過っていた。

けれども、フエに来させてもらってすぐに分かったこと。
それは「日本語を話せる&勉強しているベトナム人学生がいる」ということ。

ベトナムに来る前までは「日本語教師」という仕事すらしらなかった。
日本語が仕事になっているなんて思ってもいなかった。
だって、「もうこの国は終わりや!」と思っていたから。

でも、毎日毎日一生懸命(えんぴつ持つところが削れるくらい)日本語を
勉強してくれている人たちがここにはいる。
お世話になっている大学でも、日本語は英語に次ぐ人気だった。

ここには僕がこれまで気づけなかった「日本」が確かにあった。
そして自然とそんな日本を創ってきてくれた先人たちの足跡を感じて、
ありがたいなと思うようになった。

そんなことをTwitterで発信をしていたら、たまたま旅行会社の方と
知り合う機会に恵まれた。
そこで生まれた仕事が2:チェンジメーカー留学inベトナムだった。

今思うと、この仕事は本当に原点だったと思う。
あの時、こんな自分を拾って、可能性を見出そうとしてくださった
Iさんには感謝しても仕切れない。

「捨てる神あれば拾う神あり」とはまさにこの事だと実感した。


■で、何したいの?

それからは、少しずつであるが仕事も増えてきた。
振り返って、ツアーの仕事が多いのも、きっと好きだからやっているんだと思う。

まだ2年目なので、もっと在住期間の長い人たちからすれば、
まだまだベトナムを分かっていないことが多すぎると思う。
酸いも甘いもこれからもっともっと知っていかなければならない。

ただ、この国の人たちが好きだし、これからも何かしたいと思っている。
では具体的に何をしたいんだ?と少し考えてみたけど、うーんなんだろな。

具体的なものはわからないけれども、「外国と日本の接点をつくる」仕事が
したいと思っている。

話が逸れるが、4月1日から、フエでとても親しくさせて頂いていた学生2名が
茨城のとある大学に留学することになった。

交換留学で1年間。
決して安くない学費・渡航費を払い、彼女たちは日本へ行った。

僕は彼女たちのお蔭で、ベトナムが好きになれた。
何もわからない中、義務感でもなんでもなく、一人の友人として
付き合ってくれ、たくさんの見所を案内してくれた。

そして一生懸命勉強する姿、日本人が少ない地域で、
日常会話はほぼ困らないレベルにまで上手に日本語を話す姿を見て、
「学ぶこと」への熱に何度も何度も奮起させられてきた。

そんな彼女たちが日本へ行くとき、思ったこと。

「日本に行ってよかった」

そう思って欲しい。

思えば、僕が日本に居た頃、日本に住んでいる外国人には
まったく興味がなかった。いや、その存在すら余り気に留めたことは
なかった。

でも、彼女たちのように、ありったけの想いを込め、
日本に留学してくれている外国人の方たちがいる。

ベトナムでは僕は外国人である。
そんな一外国人がこの国を好きになれたのは一重にベトナム人の方たちのお蔭だ。
ベトナム人の方たちが日本語を話してくれ、自分たちのことを精一杯案内してくれた
から、僕は今でも元気に生きている。生活をしていけている。仕事をさせてもらっている。

そんな彼女たちに居場所をもらったからこそ、今度は恩返しをしたいなーとぼんやり思っている。
それがベトナムでなのか、日本でなのか分からない。

ぼんやりと、日本で外国人用のゲストハウスをやれたらいいなとも思う。
日本に来ている留学生たちが集う寮をできたらいいとも思っている。
また、ベトナムに来る日本人の方たちに、ベトナム人の方たちとより濃く
接することが出来る場をつくるのにも関心がある。

グローバル化とか、日本はやばいから海外へ出ろとか、そういう
危機感だけでは人は動かない。


それよりも、彼女たちのように想いを持った人が、
日本と関わり合い、ダチ公になっていく。
そんな関わり合いの場をつくり続けていきたいと思っています。

「それで飯が食えると思うなよ!」

と思われたかもしれません。
まさにおっしゃる通りかもしれません。

でもやってみないとわからないじゃないですか!
フエに来させてもらった当初、今の仕事の形が出来るなんて、他人はおろか
本人ですらわかっていなかった。

けれども、その場、その瞬間で出会うべく人と出会えれば、
それは仕事になる。
そこから更につながれる縁があって、そこから更に生まれる仕事がある。

そういった繰り返しの中で、自分の役割、自分の仕事をこれからも
探究し続けていこうと思っています。

あとそろそろ28歳なので、嫁さんを見つけ…略。

今回は以上。
殴り書きで失礼しました!

川村


ベトナムに来させてもらい約2年。
その間、Twitterやブログ、紹介などを含め、
日本の大学生には約200人くらい会わせてもらっている。

今回のGCPだけでも、参加者20人、そして他のプログラムで
インターンをしている学生を含めると、合計60人くらいと出会うことが出来た。

その中で確信を持って言えることがある。
それは、200人の学生たち一人ひとりが、真剣に自分の人生を考え、試行錯誤を続けていること。
「このままではいけない!」と思い、果敢にベトナムにまで飛び込んで来ている人たちがいること。

そんな姿を見ていると、日本の中でよく言われている若者論(内向き・安定志向等々)とは大きく乖離している。
これはなぜなんだろうか。

類は友を呼んでいる可能性がもちろんあるとは思う。
けれども、僕はこうしたマクロなデータでは読み取れないもっとミクロな1人ひとりを
見てきた。出会った学生全てが、日々懸命にもがいていたし、具体的な行動に移していた。

そんな姿を目の当りにしてきて、
僕は率直に「かっこいいな」と思った。

良く「新興国の若者は猛烈に勉強していて、英語も話せる。ハングリー精神もある。
それに比べて日本の若者はダメだ」ということを聞くことがある。

確かにこちらの学生は猛烈に勉強しているし、そこは見習わなければならないと思う。
けれども、どちらの学生とも接してきた感覚として、日本の大学生だって決して
負けている訳ではない。

英語は環境として求められていないから勉強しないだけだ。
環境が必要に迫られれば、直ぐに話せるようになるはず。

また、語学以外でも「人としての当たり前レベル」は非常に高いと感じる。
例えば、『「時間」と「約束」を守ること』を何も言われなくても実践出来るのは日本人くらいじゃないだろうか。
ベトナムの企業の中には、こうした当たり前を出来るようにしたいと思いわざわざお金を払っているところも多い。

また、恵まれた国に生まれたからこそ、自然と出来る友達に対する気遣いや
心配りにはこちらの学生たちはいつも驚いている。
これらが日本に対する印象を更に良くしているのだろう。

つまり、日本の中で普通に生活しているだけでは、「場」と「出会い」が不足しているだけなのだ。
一度外に出て、適切な場と出会いさえあれば、自身が持つ数限りない可能性に気づくことが出来る。

何も日本を捨てて、海外で働くことを推奨している訳ではない。
日本は素晴らしい国であると思う。

 誰もが高等教育を受けられること。
 誰もが世界最高水準の医療を受けられること。
 人も優しく、食べ物も美味しい。
 いつでもどこでもいけるバスポートを持たせてもらえる。
 いつでも美味しい飲める水が蛇口から出てくる。

こうした良さは外に出るからこそ感じることが出来るものなのだ。
誰かに言われたものではなく、自分が外に出て、体験し、学んだことは、
自分の人生を圧倒的にポジティブにしてくれる。

実際に僕の友人であるK君はベトナムで外国人として働いた経験から、「日本にいる外国人の人たちがよりよく暮らしていけるための場を創りたい!」という想いを持つようになった。
これからは活動拠点を日本に移して働いていく予定。こうした視点で日本をとらえることが出来たのも
外に出たからなのではないかと思う。

このように、僕自身、今回のGCPを通じてこのようなことを学ばせてもらった。
だから、これからもベトナムを中心として、圧倒的な体験、気づきにあふれた場作りに少しでも
関わっていきたいと思っている。

最後になりますが、今回のGCPを通じてご協力頂いた全ての皆様に
心から感謝を申し上げます。

至らぬ点が多々あり、ご迷惑をおかけしてしまったこともあります。
ただそんな中でも、暖かく学生のみなさんを迎え、彼ら・彼女たちの
成長を見守ってくれたこと、感謝しても仕切れません。

この場を借りて、改めて御礼を申し上げます。

今回は以上です。
今後ともどうかよろしくお願い致します!

川村泰裕

*実際は「内向きではない」とする参考資料はこちら
「若者は内向き」という誤解
「こんなに面白い国、人たちがいたなんて僕は嬉しくてたまりません!絶対にまたホーチミンに戻ってきます!」
これは、最後にGCP参加者の1人である大学生が僕に向けて話してくれた言葉である。

2月下旬からから3月中旬にかけて、日本に大学生向けの海外研修プログラムである
GCP(=Global Challenge Program。以下GCP)をホーチミンにて行った。

僕は、約3週間の間、現地コーディネーターとしてずっと彼ら・彼女らと行動を共にしていた。
最初は「暑いっす!」「お腹痛いっす!」「パクチー食べられないっす!」と弱音を吐いていた
人たちが多かったのだが、日を追う毎に顔つきが変わっていき、いつしか前しか向かないように
なっていった。

そんな彼ら・彼女たちの姿を幸運にも目の当たりにすることになり、
日本の若者たちの底知れない可能性を感じることが出来た。

今回は「学生たちの変化はなぜ起こったのか」そして「日本の若者たちが秘めている可能性」
について、書いてみたい。

「何かやりたい!」と思っているけど、一体その想いをどこにぶつけたらいいのか
悩んでいる人がいたら、この文章が少しでも役に立てることを願っています。


■前編~GCPで起こったこと~
本文をはじめる前に、そもそもGCPとは何ぞやについて書きたい。
これは、「グローバル人材となるための第一歩を踏み出すこと」
を大きな目的として日本の研修会社である

スパイスアップジャパン豊田さん、
イマココミライ森田さん、
JOBWEBさん

の3社が主催となって
運営している学生向けの海外研修プログラムである。

内容は約3週間に渡って、
①企業訪問
②インターンシップ
③リサーチ活動
を行うという何とも中身の濃いものとなっている。

参加者は計20名、そして「え、何々面白そうじゃん!」と思ってくださった
フットワークの軽い大人たちが合計10名集い、実施することになった。

結論として、この20名の内、5名が再びホーチミンに戻り、
各企業先でインターンシップをすることになった。

また、「面白そう」という理由で集った運営側の大人たちにも劇的な変化があった。
ある人は、インターンシップ先の方に惚れ込み、か学生たちと一緒にインターンシップを申し出、
一緒に汗を流していた。

また、ある人は、9月からベトナムで農業をやることを決意。現在日本で早速仲間集めを
している。またある人は、ベトナムへ家族ごと移住し、仕事を始めることを決意。
こうした変化は、誰かに何かを強制された訳ではなく、自然と皆、行動に移していた。

最初は「どうして皆、熱くなっていくんだ!?」と分からないことだらけだった。
けれども、話込んでいくうちに「場」と「出会い」があれば、勝手に人は成長していくんだと
思うようになった。

○ベトナムという場が持つエネルギー

上向きの国と下向きの国というものがあるとしたら、
ベトナムは間違いなく上向きの国だ。

そうした国が持つエネルギーはいるだけで元気になってしまうから不思議である。
特に、バブル以降に生まれた日本の若者にとっては、初めて経験する「経済成長」という空気。
更にベトナムの方たちの多くが親日的である。

だからなのか、現在ホーチミンには次々と日本企業の進出が相次いでいる。
そればかりか、日本の若い起業家たちもどんどんチャンスを求め、果敢にチャレンジしている。
「自分も何かやったるで!」と思わずにはいられなくなってしまう。

加えて、物価水準は日本と比べて格段に安い。
100万円あれば、(内容にも拠るが)お店だって出せてしまう。

100万円を稼ぐとしたら大変なように思われるが、学生でも半年間、ちょっと頑張って
バイトすれば決して不可能な金額ではない。
良くて時給2万ドン(=約80円!)のベトナムとは10倍以上もらえる金額が違う。
仮に失敗したとしても、金銭的なリスクはほとんどない。

こうした恵まれた環境にいることは、以外と日本にいるだけでは気づかないし気づけない。
日本に生まれた者としてはこうした環境を作ってくれた先人たちに感謝感激雨嵐である。

○刺激的な出会い

今回の変化は、ベトナムという「場」に加え、現地で次々に起こった「出会い」も
大きな理由となっている。

特にインターンシップ先の企業の方たちとの出会いは、学生たちの今後の進路にも
多大な影響を与えることになった。

「学生の仕事は大きな夢を描くこと。そのための場づくりの為ならいくらでも協力したい」
と言ってくださった方がいました。

インターンシップ期間中、毎晩毎晩、食事会兼振り返り会を開催。
更に知り合いの起業家の方たちを呼んで、講演会を開催してくださった
方たちがいました。

「川村君、こうすればもっと面白いことになるよ!」とプログラムを一緒に考え、
提案をしてくださった方たちもいました。

こうした志ある企業の方たちとの出会いが学生たちに大きな気づきを自然と
与えたのだと思う。

加えて、そんなインターンシップ先の方たちの熱意に引き出された
学生たちの「ひたむきさ」「一生懸命さ」「頑張り」が、少なからずインターンシップ先の
方たちをも変えました。

「川村君、またぜひ受け入れたいからいつでも言ってくださいね」
とおっしゃって頂いた時は本当に嬉しかった。

これは一重に、インターンシップ先の方たちと学生たちの、メリットデメリットを超えた
「何か」が交錯した結果だと考えている。
こうしたことを振り返ると、人と人との出会いで生まれる可能性は半端ないなーと何度思ったことか。

このように、「場」と「出会い」さえあれば、人は勝手にどんどん変わっていく。
後編では、日本の大学生が持つこれからの可能性について書きたい。

ツイッターやFBの発達で個人的に一番恩恵を受けたのは
「組織や社会的立場を超えて、『想い』一つで直につながれること」でした。

これは「カネコネ経験ナシ」の若造にとっては空前絶後の
チャンス到来だと思います。

ベトナムに来させてもらい約2年。
有り難いことに沢山の日本人の方たちに出会うことが出来ました。
... その中にはいわゆる世の中的に「成功」している人も沢山いらっしゃいました。

普通ならばそのまま「よっしゃ、じゃあリタイアして悠々自適に暮らすか」
と考えてしまいがちなのではないかと思います。

しかし、少なくとも、僕が出会った方たちはそんなこと考えていませんでした。

もっともっとより良い日本に、社会にしようと自分たちよりも
下の世代の方たちを育てたいとう意思を強烈に持ち、活動を続けられています。

だから、僕たち若造はもっと声を大にして
「俺はこれがやりたいんだ!」
「これで食っていけるか分からないけど、絶対に面白いことなんですよ!」
と発信して行動するべきだし、それが出来る時代なんだと思います。

直近ではお金にならないかもしれません。
貧乏暮らしを強いられるかもしれません。
「あいつも落ちたな」と後ろ指を差され、悔しい思いをするかもしれません。

でも、本気で自分がやりたいことがあるならば、それに突き進むべきだと思います。本気であるなら必ず誰か見てくれていますし、手を差し伸べてくれる人が
現れます。またそういった若造が大好きな大人たちは沢山いらっしゃいます。

逆に言えば、自分なりの「これだ!」というものを持っていないと
簡単にはつながれない時代に差し掛かっているのだとも思います。

人事部に受けるネタ作りをしている暇があったら、どんどん行動してしまった方が面白い縁が育まれます。世の中には自分のことを評価してくれる驚くほど人たちが沢山います。これは何も日本だけに限った話ではありません。英語で発信すれば、英語圏の人に評価され、そこから仕事が生まれるかもしれません。

これほど個人で自由を獲得できる可能性を秘めた時代に
生まれたこと。僕はそんな時代を作ってくれた先人の方たちに心から感謝をしています。

たとえば、日本に生まれただけでも、対外的にみたらこれほど恵まれている時代は
ありません。

今、ベトナムには沢山の日本人学生が旅行をしています。
そんな姿を見たあるベトナム人学生は
「日本人はいいですね。行きたい時に行きたい国にいけて。
ベトナムがそんな国になるのはいつになるのかな」と言っていました。

これは日本の先人の皆様が汗を流して今の日本を築いてきてくれた
結晶です。

だから、僕たち若造はもっとこれらの資産を活かすべきだし、
もっと自分が信じる道を突き進んでもいいんだと思います。

「組織」の看板でつながれる縁と、「個人」の看板でつながる縁には
その強さに雲泥の差があります。

もし、今、これから進む道に迷っている人がいたら、己を信じて、
歩み続けて欲しいなと思います。

個人的にもそういった方を少しでも後押しできるような存在でいられるように
引き続き突き進んでいきます。

なんだか書いている内に熱くなってしまったので、今回はこの辺で!


[参考記事]
ネットで「個」を発信できるのは、当たり前なことではなく、実にラッキーなこと(bysさとなおさん)

組織や肩書きに頼らず「自分」を晒して生きるということ
(byさとなおさん)
最近は「GCP(=グローバル・チャレンジ・プログラム)」という研修の準備のため、ホーチミンに滞在させてもらっています。

日々、ご挨拶と準備を行なっているのだが、本当に沢山の企業の方々にご協力頂けることで成り立っていると痛感しています。この場を借りて御礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございます。

さて、日々、ホーチミンで働く多くの日本人の方々とお話させてもらっていますが、その中で印象深い出会いがあったので、紹介致します。

その方は、とある日系企業から、新規事業の立ち上げで現在ホーチミンに駐在されている。
元々、今の仕事とは全く別の仕事で、2001年から一年間ほどホーチミンの工場で働かれていたとのこと。

当時は、「俺はやれば出来るんだ!」「こんな所で終わる俺じゃない!」と思って突っ張っていたらしいのだが、
それがベトナムに来て、ベトナム人の方たちと働くことで一気に崩れさったとのこと。


工場で働き出してすぐの頃、仕事が一段落して、皆でコーヒーを飲みにいくことになった。そこは比較的高いカフェで、一杯200円はする所だったらしい。もちろん、金銭的には自分の方が恵まれているし、そのことはお互い十分に分かっていたとのこと。

けれども、ベトナム人の方たちは「お前はまだ来たばかりだし、分からないことだらけだと思う、そんな時はいつでも俺たちを頼ってくれよ!よろしくな!」と言って、さらりとその場はおごってくれた。
普通であれば、コーヒーは一杯20円くらいである。しかし、そこは倍の値段はするカフェだ。それを、さらりと奢ってくれたことに衝撃を受けたとのことです。

ベトナムは基本的に招待した人が奢る文化があるのだけれども、それでも当時は衝撃的だった出来事だったとのこと。

つまり「彼らは与えられた環境で、精一杯生きている。それにこうして外国人が来ても優しく接してくれている。対して、自分はどうだろう。今ある環境の中で精一杯生きているだろうか。ただただ不満を言うだけで、何もしてこなかったのではないか。」と感じたとのことです。

その後、日本でもう一度頑張ろうと決意し、約10年間、日本で働かれます。そして、時代の流れもあり、会社がベトナム進出するぞ!となった時に、この方に白羽の矢が立ったとのことです。

この話を伺った時、僕も似たような経験をしていたので、とても共感してしまった。
言葉も分からず、つてもなく、お金もないままで初めて来た土地がベトナム・フエだった。
ぶっちゃけてしまえば「使えない外国人」であったのは間違いない。

それでも当時は、「いや、俺はやれば出来るんだ」と虚勢を張っていたと思う。それから沢山迷惑を掛けて、自分の至らなさを知りました。ただ、そんな中でも、優しく接し続けてくれた人たちが、ベトナム人の方たちだったし、在住日本人の方たちだったりした。明らかに定員オーバーな部屋の中に、嫌な顔一つせず、泊めてくれたこともある。僕が泊まるときだけ、食事に卵焼きを作ってくれた学生もいた。

そんな時、痛感したのが「無力感」だった。「自分は何も出来ないちっぽけな存在だったんだ」ということである。ただ、この思いは何ら悪いことではないと思う。なぜなら、無力感と同時に、「自分が今まで生きてこれたのは周りの人たちのお陰なんだ」と、自然と感じるようになるからだ。

自分がピンチの時は、自分自身は見えていないのだが、後で振り返ると、実に多くの人たちが密かに助けてくれていたこと。そんな人たちの一回一回のご協力のお陰で、今の自分があるんだということ。

「んなもん当たり前だろ!」と思われるかもしれない。もちろん当たり前なことなのだが、「肌感覚」として実感したのが、僕の場合はベトナムに来てからだった。本当に愚か者検定1級だなと思う。

僕はいわゆる日本のレールを比較的順調に走ってきた人だと思う。当たり前のように大学に行ったし、浪人までさせてもらっていた。。。ただ、そこから半ば強制的に外れ、ベトナムから日本を、自分という存在を見つめなおした時に、日本の先人たち、そして自分の周りの人たちについて良く考えるようになった。来た当初は分からなかったけど、約2年を経て、やっとこさ周囲を見れるように少しはなったのかもしれない。

こうした事に気づけただけでも、ここに来て、本当に良かったと思う。気づかせてくださったベトナム人の友人たち、日本人の人たち、そして日本の友人、家族に改めて感謝したい。

このブログを読んでくださっている方の中には、今どうしようもない無力感を感じている人がいるかもしれない。でも、その感覚は、全く悪いことではなく、今一度、自分を再出発させることが出来る力強い味方であると思う。

ちっぽけでしょうもない自分、周りと比較してしまうとどうしてもしょぼい自分。。。
でも、そんな中だからこそ、そんな自分を自分で認めることから、これからが始まるのではないか。
そんなことに気づけた自分を愛してやろうではないかと。


そんなことを思った今日この頃なのでした。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました!


川村

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